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< 1.シリアのパレスチナ難民、1848年 >
前回、インティファーダ(民衆蜂起)の背景に領土をなし崩しに減らされ、支配されていくパレスチナの不満がありました。
今日は、パレスチナの逆境を決定づけた4回の中東戦争を振り返ります。
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< 2. 中東戦争 >
A: 第1次中東戦争のイスラエル軍。
B: 第2次中東戦争のエジプト軍。
C: 第3次中東戦争のイスラエル空軍。
D: 第4次中東戦争のシリア軍。
中東戦争のあらまし
*第1次中東戦争、1948年5月~1949年3月。
英国の委任統治終了後、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言したが、アラブ諸国はこれに反対し開戦した。
アラブ軍は破れ国連の仲介で停戦したが、多くのパレスチナ人(アラブ人)が難民となりその土地は奪われた。
*第2次中東戦争、1956年10月~1957年3月。
王政転覆を果たしたエジプト革命の後、ナセル大統領はスエズ運河の国有化を宣言した。
これに憤慨した英国はフランス、イスラエルと共謀し、先ずイスラエルがシナイ半島に侵攻し、次いで英仏がエジプトを攻撃した。
ところが米国はこれに反対し、国連で即時撤退を主導して停戦となった。
これによりエジプトはスエズを手に入れ、単独で3カ国と戦ったナセルはアラブから盟主と称えられた。
*第3次中東戦争、1967年6月5日~10日。
イスラエルとパレスチナ・ゲリラの武力衝突が続発し緊張が高まっていた。
イスラエルの攻勢が近いと知らされたナセルは海峡封鎖を行い警戒態勢を敷いた。
そして、イスラエルは攻撃を開始し、エジプトとアラブ諸国は防戦したが大敗した。
こうしてガザ,シナイ半島,シリアのゴラン高原,ヨルダン川西岸地区は占領され、パレスチナ難民はさらに増加した。
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< 3. 第3次中東戦争の結果 >
*第4次中東戦争、1973年10月6日~24日。
今度はエジプト(サダト大統領)がシリアと組み、両方からイスラエルに奇襲攻撃を行った。
緒戦はエジプト側らが優勢であったが、イスラエル軍は後半立ち直り有利のうちに停戦した。
この間、アラブ産油国は結束しイスラエルが撤退するまで石油禁輸を行うことを決定し、イスラエル支援国に揺さ振りをかけた(第一次石油危機)。
1979年、エジプト・イスラエル平和条約が締結され、シナイ半島がエジプトに返還された。
この後、イスラエルとアラブ諸国との本格的な戦争は無くなった。
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< 4. イスラエルの領土の推移 >
赤枠が国連の分割案と第3次中東戦争の後の変化を示します。
中東戦争は何をもたらしたのか
アラブ諸国がこの戦争を始めたが、敗戦を繰り返し、最後にアラブは手を引いた。
終わって見るとイスラエルは領土を増やし、パレスチナ人はガザとヨルダン川西岸に閉じ込められ自由を奪われ、その後、植民が強化されていくことになる。
開戦前の1947年、ユダヤ人63万人、パレスチナ人131万人だったが、終戦の1973年にはそれぞれ285万人、49万人に逆転した。
そしてユダヤ人の領土は、全体の78%になっていた。
その間、70万人以上のパレスチナ人が家を失い、現在総数560万人の難民がパレスチナ自治区と周辺国で耐乏生活を続けている。
その後のイスラエルのレバノン侵攻もあり、パレスチナ政府(PLO)は弱体化し、過激派が横行することにもなった。
何が勝敗を分けたのか
第1次中東戦争の開戦時、アラブ側は優勢であったが諸隊の寄せ集めに過ぎなかった。
一方、イスラエルは必死であり、国連仲介による休戦の間に海外で兵器調達を行い、指揮系統を統一し反撃することが出来た。
第2次中東戦争以降はイスラエルの軍事力はアラブ側より勝っていた。
これは自国と世界中のユダヤの経済力もあるが、中東の権益維持を図る英仏と冷戦中の米国が徹底的にイスラエルを支えたことにある。
もし米国の兵器支給が遅れるだけで、今のイスラエルは無かったかもしれない。
ソ連もエジプトやアラブ側を支援したが限度があり、アラブ諸国は経済的に疲弊していた。
第4次中東戦争以降、アラブはイラン革命や石油、米国絡みの戦争で敵対し、パレスチナを助けるよりも難民を避けるようになった。
あとがき
中東戦争の経緯を見ると、作戦指揮においてイスラエルが一枚も二枚も上手で諜報戦にも長けている。
よくぞ、亡国の民が一気に国を立ち上げ、ここまでになるとは驚きです。
しかし、その一方で、冷酷で狡猾な手口にも驚く。
私はパレスチナの民に北米インデアンの末路を想像してしまう。
次回に続きます。
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