< 1.敦煌莫高窟、中国の仏教石窟 >
今回は、中国で仏像が普及する様子を概観します。
仏教の伝来
中国に仏教が伝わったのは意外に早く、後漢時代(後1世紀)でした。
やがて騒乱の三国時代が終わり、後4世紀頃になると仏教が黎明期を迎えます。
この頃から携帯可能な小さな仏像が造られ始めました。
< 2. 初期の仏像、唐時代以前 >
A: 金銅菩薩立像、4世紀前半頃、中央アジアで製作か。
中国でもっとも古い金銅仏。
B: 弥勒菩薩交脚像、敦煌莫高窟第275窟、5世紀前半。
その容姿にはインドとイランの影響がある。
莫高窟(4~14世紀)は修行の場として掘られた。
C: 仏座像、雲崗石窟第20窟、5世紀中頃。
敦煌も含む中国北部を支配した北魏が国家の威信をかけてこの巨大な像を作った。その風貌はモンゴル系の容貌です。
< 3.成熟した中国風の仏像、唐時代以降 >
G: 十一面観音菩薩像、唐、7世紀。
H: 木造菩薩座像、金(中国北部の王朝)、12世紀末。
なまめかしい女性らしい姿が凄い。
I: 毘盧遮那仏、龍門石窟奉先寺洞、唐、8世紀。
日本の東大寺の大仏はこれを手本に72年後に作られた。
この頃になると、仏像は服装、髪型、姿勢が中国様式を取り入れた仏像になりました。
まとめ
これまで数回にわたり、中国の人物表現や神像、仏像の変遷の7000年間を見ました。
初期の人物図像の多くは半人半獣か、シャーマン、仙人、祖先神でした。
紀元前後になるとかなり人間らしく描かれた西王母などが現れました。
それらは墓の魔除けや祈祷、不老不死の祈願など、個別の目的や信仰の為のものでした。
まだ丸彫りの単独像を地上の祠に安置して日常的に礼拝するものではなかった。
仏像以外では、超自然の力を持つ万能の神、人格神を像で表現するにはまだ至っていなかった。
次回は、唐の時代に突如として道教の尊像が誕生する様子を追います。
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