goo blog サービス終了のお知らせ 

アクアコンパス 3   世界の歴史、社会、文化、心、読書、旅行など。

カテゴリー「案内」に人気記事と連載の目次があります。Twitter に yamada manabuで参加中。

社会と情報 57: 戦った報道 14

2015年10月18日 | 連載中 社会と情報



< 1. 日露戦争、1904~1905年 >

前回に続いて新聞が転向した背景を見ます。
戦時体制の進行は何をもたらしたのか?


はじめに
通常、戦争に至る道を知るには政治や軍隊、国際関係、経済、次いで世論や報道を調べます。
しかし、私は逆に報道が間違った道に進んだ背景を問題にしています。
それは報道が人間で言えば神経系であり、正しく機能していれば例え癌が進行していても治療することが可能だからです。
だが残念なことに脳が感情(恐怖や不安、憎しみ)に支配され誤断するように報道にも同様なことが起こります。
報道がどのようにして機能しなくなるかを知ることは重要です。

その背景はどのように変わったのでしょうか
その背景を大きく三つに分けてみます。
A:戦時体制の進行による社会的背景。長期的に深まっていった。
B:経済的背景。主に1920年代に強まった。
C:政治的背景。主に1920年代半ばから強まった。
国際関係と、世論に関わる文化や思想は上記と関連して説明します。



< 2. 1933年、日本海軍の観閲式 >

A:戦時体制の進行。
日本の海外派兵は1874年の台湾出兵からで、1894年の日清戦争、次いで1904年の日露戦争から戦時体制が強化され、拡大の道を歩んだ。

少し規模感を掴んでみましょう。
陸海軍の兵員は当初数万だったが、1912年から1931年まで常時30万を要し、徴兵制度により検査合格の男性はほとんどが一度は入隊した。
日清・日露戦争役の軍人死者は10万、負傷者は16万であった。
国家財政に占める軍事費比率は、1890年代から1929年代までの平均は40%で、最小27%、最大は日露戦争の2年間の82%であった。



< 3. 明治から大戦期までの軍事費と全財政支出の推移、「日本経済復活の会」から >
凡例: 立軸の単位は百万円で対数表示。
茶色線: 日本の財政支出。
青色線: 軍事支出。軍事費が突出すると青色線が茶色線に近づく。
解説: 軍事費は日増しに増大したが、その間の経済も1920年代まで同様に成長した。
しかしそれ以降の経済の落ち込みと軍事費増大のギャップは国債増発と大量の紙幣増発で賄われた。

1931年の満州事変までの60年間に、政治では軍備増強と派兵が重要で、経済では軍需と殖民地産業が繁栄に繋がった。
戦争と軍隊は徐々に国民にとって身近なものとなり、男の子の出世は軍人が一番だった。
一方、進出した大陸での自国民や兵士の殺傷は、異国への敵意を高めていくことになった。



< 4. 中村大尉事件:満州事変の3ヶ月前に軍用調査の3人が満州軍閥に銃殺され死体は遺棄された >


大陸で反日が燃えさかり、軍の侵攻に伴って数人の被害が発生しても、国民は激昂し復讐を訴えるようになる。
どこの交戦国も、死者の数もさることながら虐殺されたことに強い憤りを感じ復讐の連鎖が始まり、戦争は拡大する。
こうして国民は戦地の身内の安否、戦闘の勝敗が一大関心事となり、報道に注目することうなる。
この高まりは人類普遍と言えます、まして日本は既に長い年月が経っていた。

次回、この戦時下による社会的な変化を二つに分けて補足説明します。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。