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社会と情報 59: 戦った報道 16

2015年10月29日 | 連載中 社会と情報


< 1.1930年頃、村が身売りを斡旋。  >

これから新聞が転向した経済的背景を見ていきます。
それは人々が大陸侵攻を肯定するようになる経済的要因を確認することです。


< 2.1933年、中国北部での熱河作戦。  >

はじめに
既に「戦った報道 11」で、当時、朝日の現地記者が満州事変の首謀者石原莞爾に共感しており、「日本の人口問題と食糧問題の解決には満蒙大陸が必要」と考えていたことを見ました。

当時、人々は悪化する経済と生活で先の見えない状況におかれていた。
過激分子が解決策として大陸侵攻を唱え、国民は同意するようになって行きました。



< 3.財政支出の推移 >
凡例:色枠のA,C,D,Eは下記の「主要なポイント」に対応。他のグラフも同様。
細い破線が「財政支出額/GDP」、実線が財政支出額を示す。

主要なポイント
1900年代から1930年代、明治末から昭和の初めにかけて起きた主要な経済問題を挙げます。

問題A:1890年代から高まる莫大な軍事費調達により政府は身動き出来なくなっていた。
問題B:1900年代から慢性的な米不足と過剰人口、貧富の差拡大、さらに労働・農民の権利意識の高まりで国民は不満を募らせていた。
問題C:1910年代後半、第一次世界大戦による一大繁栄がもたらされたが、その反動が社会と経済をより悪化させることになった。
問題D:1920年代、日本経済は未曾有の経済悪化、すなわち戦後恐慌に始まり関東大震災、金融恐慌、追い討ちをかけるように世界恐慌に見舞われた。

変化E:1931年、日本は満州事変を起こし中国大陸北部(満蒙)を掌中に収め、朝鮮半島と台湾を包括する大日本帝国圏を作り上げた。
欧米列強は第一次世界大戦後の植民地独立と世界恐慌で軒並み経済と貿易を沈滞させていた。
そんな中、日本は中国を含むアジアで一人貿易を伸ばし、世界に先駆けて経済回復を成し遂げた。
この間、日本は上記の問題A、B、C、Dをほぼ回避したように見える。
その結果、日本は群を抜く経済成長を遂げ、1940年には米国、英国に次ぎ、ドイツと肩を並べる経済大国になった。



< 4.GDPの推移、世界恐慌の1929年を100として指数化。 >
日本のGDP(赤線)は満州事変を契機としてソ連(オレンジ線)を除いて欧米列強を尻目に急伸した。


< 5. 世界貿易の推移 >
世界恐慌以降、世界の貿易額は1/3ほどに減った。



< 6. 植民地貿易額の推移 >
凡例:黄線が日本の対全植民地貿易額。
世界恐慌以降、植民地貿易額は仏(破線)で横ばい、英国(実線)で半減したが、日本は満州事変以降、4倍以上に伸ばした。

何が重要か
国民は危険な戦争拡大と引き換えてまで、なぜ大陸侵攻に望みを託したのだろうか?
大陸侵攻は国民の予想通り日本の経済悪化を救ったのだろうか?
この難解な経済的背景を数点のポイントに絞って簡単に確認していきます。

次回、あまり知られていない「戦費調達が招いた問題」を見ます。




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