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「プロメテウスの罠」を読んで

2012年04月29日 | 時事問題
   
1. 摘要 ; 朝日新聞連載記事「プロメテウスの罠」>「観測中止令1~15」を読んだ感想。これは原発事故に纏わる目立たない事件をレポートしたもので、このシリーズは原子力行政の内実を暴露している。

2. 事件の概要 ;「観測中止令1~15」の記事要約
 発端は3月31日に気象庁気象研に放射能観測中止の命令だった。気象庁は1954年から放射能観測を継続していた。これは地球化学と環境・応用気象の研究部で行われ大気と海洋の両方でデーターを取っていた。この気象研の長期的な研究姿勢から、かつて南極のオゾンホールを世界で始めて発見し得た。国の放射能調査研究費総額は10億で、その内4000万円が気象研の分だった。内最大は5億円で米原潜のモニタリング用である。それら予算を文科省がとりまとめていた。ところが福島原発事故で、急遽、そちらに予算を回す必要が発生し、文科省原子力安全課は予算の見直しを関係省庁に打診した。それを受けて気象庁企画課は、研究であり緊急性はなく、気象庁本来の業務でないとの判断から、「今年度の研究費は不要」と回答した。(1,2,4回までの分から)

 この観測は地球規模の放射線の循環や拡散を研究するには重要だった。当時気象庁では気象研のみが放射線観測を担っていた。中止令にもめげず、2人の研究者は、分析出来ずとも、他研究所や研究者達の消耗品提供によりサンプル収集だけは続行していた。しかし先ほどの文科省担当者はさらに、消耗品の提供があることから剰余予算の返還を打診してきた。しかし、この件について文科省と気象研に記者が確認を取ると、双方はことを曖昧にし、消耗品の善意の提供や返還督促が無かったことにしょうとした。この背景には予算を巡る財務省の意向があるらしい。気象庁は国土交通省に属するが、予算は財務省に牛耳られている。今回の動きについて、財務省は「いきなり増税することは出来ない、結局、放射能関連予算から見直すのが当然。」との回答だった。この件について、上智大教授は「放射能は国民が神経質になる。・・・だから気象庁は関わらない。」「世界最長の観測を、原発事故の放射能を捕らえている最中に中断したら、・・・気象庁は笑いものです。」 中止を求められた研究者は検証を求め第三者委員会の設置を提案した。

3. 事件の分析 
 この事件にはポイントが二つある。一つは行政組織の論理、適応不全の常態であり、今一つはマスコミの力、暴露による浄化である。

 この事件から見える行政組織の論理を箇条書きにする。
* 緊急対応時、関連予算内で処理を済まそうとする。予算が全てであり、全体から見た対象事業の重要さは二の次になる。
* 組織主流の役割(目的と予算)は重視するが、傍流は無視される。本体が傷つかないように配慮される。
* 予算統括部署への遠慮がある。今回の事件では文科省、気象庁は財務省に睨まれないように、意向を汲んで必要以上の気配りをして いる。
* 全体を見渡し判断出来ない。最大出費で緊急性のない原潜のモニタリング予算の一時中止を判断出来ない。多岐にわたる部署(財務 省、文科省、海上保安庁、地方自治体、気象庁、厚生労働省等)で折衝し了解が必要だが、それを行わない。
* 各々の部署は災いを避け、責任になりそうなことから逃げる。それは気象研のあっさりした「不要」との回答」の背景になったものである。しかし研究者個人における誠意ある行動が救いとなる。

 マスコミ・新聞の今回の効能を記す。
* 研究者2人への放射線測定中止令。これは通常、取るに足らない事件だろう。しかしこれを全国紙が取り上げることにより、関係部署は今回のような判断に神経質にならざるを得ない。反省し改善策をとることまでは期待出来ないが。
* 研究者2人の行動は世論から賞賛される形となり、組織から抑えられることなく、目的を達成することが出来るだろう。

4. 全体の感想
この事件は原発事故特有の問題というより、行政組織の機能不全の一端を暴いたものである。ここから得られる教訓としては、国民が望んでいる方向に行政は情報開示や対策を行うのではなく、組織の自己保存の論理から乖離しない程度に如才なく行っていることがわかる。

例えば国際放射線防護委員会ICRPの定める被爆線量の緩い許容値に、それは見られる(原発事故の分析時、私が指摘した)。当初からこの機関の勧告が各国の基準値となっており、世界的権威を有していた。しかしその委員は原子力推進国で活躍する核実験や原子力利用に関わる人々からなっていた。当然、運営基金も原子力推進国の米国などが中心であった。したがってその許容値は低く、幼児については根拠もなく低く抑えられていた。今回、日本政府や学会もそれに追従した。一方で世界の放射線医学や放射線遺伝学の研究者達からは厳しい基準値と疑義が唱えられていた。この間の相違はNHKのドキュンメンタリーで解明されていた。私達は隠され捏造された裏側を知り、正しく評価することが困難であることを知る必要がある。まして高度な科学技術や知識についてはそうである。国の機関や営利団体の発表をけっして鵜呑みにしてはいけない。日本の原発差し止め裁判がことごとく敗訴して来た背景に、政府の舵取り、学者やマスコミの原発推進母体への迎合があった。

それでは新聞などのマスコミがそのことを補うことが出来るのだろうか。今回の朝日新聞の特集記事は、確かにその一助となったと言える。しかし朝日新聞の日本全国の普及率(朝刊配布世帯に対して)は15%に過ぎず、ほとんどの都道府県は地方紙で占められ、そのシェアは最大82%で半数の県は50%を越える。全国紙(朝日、毎日、読売、産経、日経の総計)が70%越える都道府県は47中、11しかない。全国紙では読売がトップで朝日より若干多い程度である。例えば原発のある福井では地方紙が79%、朝日新聞は5%に満たない。県民性と地方紙のシェアの相関を見ると、自民党や社民党(沖縄県)への支持に大きく振れている所は、概ね地方紙に依存している様子が伺える。良くも悪くも政治や社会意識は地域社会(地方紙)で純粋培養される傾向にありそうだと言える。一方、絶大なマスコミ王が米国と英国で老舗の新聞社を買い取り、低俗化させ盗聴等で不評を買った事件があった。マスコミの偏向には注視が必要である。

それでも新聞による行政注視や批判は社会の改善や更生にかけがえのないものである。米国は経営不振から地方紙が相次いで廃業し、以前より全国版も存在しない状態である。去年、米連邦通信委員会は全米のニュース事情を調査した。休刊は212紙、記者が6万人から4万人に減っていた。これは取材空白域を作り出した。これによりある事件が起きた。1998年に地元紙が休刊になると、カリフォルニア州のある都市の行政官は500万円だった年間給与を十数年かけて6400万円に引き上げた。これは市議会の承認を得ていた。当然、警察署長や市議、幹部の給与も抜かりなく上がっていた。これに市民は薄々気づいてはいたが動かなかった。そんな折り広域紙ロサンゼルス・タイムズの記者が隣の市を取材中にそれを聞き込んでスクープしたことにより発覚した。この間何十億もの税金が失われた。委員会の調査官は、「市民が年俸400万円で記者一人を雇っていれば救えた。」ともらした。私達は監視や批判の目を常日頃から持っていないといけないし、そのような媒体(新聞など)を育てなければならない。それはマスコミに対しても言えることですが。

既に取り上げた原発、TPP、今回の気象庁の事件は様々なことを示唆してくれましたが、最重要なのは日本の硬直化した現状-真綿で首を絞める、が露わになったことです。既に取り上げ説明したように原発維持には年間1兆円、農業保護には年間6~7兆円、さらに基地対策での沖縄援助、森林保全での林業維持など、主に戦後の経済成長に起因する政策維持が国民経済の足枷となっている。現在、税収は54兆円に過ぎないが、たかだか4件だけの事業だけで8~9兆円になるだろう。当初は必要だと判断されたのだろうが、現在は惰性-既得権益者と行政機関の存続、で行っている事業が数限りなく存在する。そのことに国民が早く気づかないと、やがて現在のギリシャやイタリアのようになるだろう。無人島になったイースター島やジャングルに埋もれたマヤ文明の人々も、隆盛期から一気に転げ落ちたのだ。しかも自らの手で滅亡を招いたのだ。

それにしても2人の気象庁研究者の良心と追い続けた記者魂には敬服する。日本の沈滞や停滞から一歩でも前に進むことが出来ることを願わずにはいられない。

履歴 : 2012/01/11作成、読書会で使用、2012/04/17コピー出投稿。


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