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地球のホコリとなりて!

地球をうろつきその感じを点描する。歩きながら考えたことを。

三坂峠を降り松山へ

2006-05-29 | 遍路つれづれ
46番へ
於久万大師から
雨模様のため雨具の下衣をつけて出発





33号線を右折して山道に入る手前で
昼食とする
さてと雨がパラ!これから三坂峠(H710m)を目指す





まむし草
蛇の嫌い!本当に似ている
見たくないのだが 見たいのだ 
人間の矛盾 いや 私だけ?
遍路経験で知った


秋には実りの美しい代田の風景が 見られる


旧遍路宿 ”坂本屋”
明治末から大正初めの建築
平成16年復活
そのかまど 14インチ?白黒TVあり 囲炉裏あり


『網掛け石』
表面に無数の網目がついていることから別名 鯨石 
石に百足が這っていました
大師の身代わりか? でも足がもつれず歩くものよ と感心?


黒い塊は 宿木
家の裏に回って 榎が大きいのにびっくり
ここの地方に多い木で この集落の名前が ”榎”


46番浄瑠璃寺
前の網掛け石と一緒にあったもうい一つはここにあるそうだが見逃した


花の見送る遍路道


47番八坂寺
四国遍路の元祖衛門三郎の息子を埋葬している

お参りを済ませ 今日の打ち止め
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バスで旅館へ
入浴
夕食
朝食
読経

写真撮影もして
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出発 女将に見送られ
八坂寺から
大きな池の横を通り
別格霊場 9番 文殊院
大師の衛門三郎の子供8人の供養と悪い因縁切りのご修法の寺


札始大師堂

重信川
白鷺が 浅瀬にいた 
黄色の花の中を川が蛇行する
ゴルフ場は河川敷にある
一面緑の芝生
雨に打たれた芝の緑が目に優しい

48番西林寺



句碑
秋風や高井のていれぎ三津の鯛(子規句)
子規の望郷の心が・・・


杖の渕
西林寺の奥の院
日照りを救った湧き渕


昔は 裏作に麦を作っていた
今は 多分大麦であろう
裸麦とも違う 小麦でもなし
この辺のビール工場と契約か? と話ながら
田植えも以前のような 一家総出の仕事でなくなった


昔なら 田植え歌などあったであろう
その後は 田休みで 一杯てとかなのだが 今はない


49番浄土寺
空也上人ゆかりの地 唐様式の重要文化財にも


遍路のわきに夕顔が垣から顔を出す
清しいので パチリ


50番繁多寺
時宗の開祖一遍上人が修学
草も木々も繁った寺

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近くの温泉で汗を流し帰路についた
雨の間をくぐりぬけた二日間であった
天に感謝
合掌!

尾瀬沼の幻想

2006-05-26 | つぶやき


この風景を見ると
自然にあの世界的有名なメロディーを口ずさむ
夏が来てしまった
澄み切った空に
白い雲がかかっている

昔 傷心でここに来た
たたずむ私は 一人
都会の喧騒を逃れ一人空を見上げる
どこまでも透明な空の蒼
それを写し撮った池の水面
深い神秘の色をたたえて
我を迎えてくれた

広く 深く 大きな心よ
生きる望みを我に与えた
また生きていける
人生って甘いものよ
失敗すれば何回でも やり直せばいい
そう開き直った私
生きていける 

今 ここにたたずむ
この風景の中で


*これは 友人の写真を見た
 今だからいえるのかも知れない
 そのイメージを 幻想した
 詩擬をつけて見た
 

田植え!はじまる

2006-05-26 | つぶやき
揃うた 出揃うた
早苗が揃うた・・・♪


田圃つくりに
代田が出来るぞ

鏡面の代田に映る酒場の灯
(ちょっと不謹慎?)

植えよ 植えましょ・・・♪
昔の一家総出の”田植え”の風景は見られない
さびしいような つらいような


今年も豊年であれと
天に祈る
合掌!

麦の秋ーZOOM IN

2006-05-26 | つぶやき
稲作の裏作に麦を作る事がなくなった?
散歩道でであった麦畑
懐かしく思い撮った
麦踏 黒ンボ(黒くなった病気麦穂)つけ 麦刈り 
蛍籠 グミの籠 も編んだ
麦畑の歌も 最近聞いたこともない


*クリックしてみてください

*クリックしてみてください

”豆飯”で俳句にTRY

2006-05-22 | つぶやき




原案からにします
これを推敲することに
写真を撮った


まずは現物をと 思い  
その旨を言う
食べたいと妻に言ひ置く豆ご飯

でてきた豆ご飯は人参入り おう 見た目もいいじゃん
豆飯の人参入りの朝餉かな

貧しい育ちが 隠せない
豆飯と聞いた途端に喉がなり

今後のためにも
本当はお前の豆飯が おいしいのだと
お袋におとらぬ妻の豆の飯

文学散歩ー 高瀬舟ー

2006-05-21 | つぶやき
高瀬舟  森鴎外著 1918(大正7)年出版
病気を苦に自殺をはかった弟が死にきれず、兄喜助にとどめをさしてくれるように頼む。喉に刺さった剃刀を抜いてやる喜助。弟殺しの罪で遠島。
その遠島になる高瀬舟で 他の罪人と違う喜助に興味を持つ同心庄兵衛が 喜助にお前何を思っているのか とその仔細を尋ねる。
一つは食を得るにも困ったのに遠島を言い渡されて200文もらった。その喜び。
もう一つは 苦から救ってやろうと思って命を絶った。これが人殺しとなるのか?
こんな問題を投げかけた。
古くて 新しい問題である。
私流にいいなおせば
1.この世は苦であるのか
2.安楽死は 犯罪かいなか?   となるのだが。

1.から私の考えを
最近のニュースから拾うと、ホリエモンに聞いてみたいのだが、
この世は 確かに苦しいことは 多い。
江戸時代のことなら なおさら 苦しく 貧乏であったろう。
終戦後でも やっと食べていける程度で 麦飯を食い、中学を出ると集団就職という口減らしで田舎の生活は成り立っていた。
今でこそ 物があふれ 飽食し フリーター ニートまで現れた。
これが 続くとも思われない。怠惰になった人間の行く末は 知れている。
地道な努力を忘れた現代、放浪者か、一部はホリエモンを目指すかしかないのだろうか?
地道な努力が報われるそんな世にして欲しいものである。
怠惰の者が少し、競争するエリートが少し、序列的努力と真面目さが大半の世になりたいものである。平均値の少し高い正規分布が好ましい。
やりたいこと 楽しい事は 99%の苦しいことをやって初めて味わえると覚悟すべしと思う。山に登って 眼下を見ると気持ちがいいが、それまでの苦労があってこそと知れ。楽しみ・充実感は 一瞬であり それまでの苦労は長い。
人生とは この一瞬のために 99%の苦労が伴うことかもしれない。
牢に入ると 確かに安定はしているが 楽しみ 充実感は生まれてこないだろう。
が、充実感のいらない(知らない)喜助にとっては 遠島 これが心の平安となる。これにまさる幸せは この時代には ない。お金までもらえる。
生き地獄を味わった者には 平安こそ極楽なのだろう。

2.安楽死 
今は 現法律を解釈することはしない
 ”私の心”にきいてみることにする
 *激しい苦痛を伴い 現医術で回復見込みのない時は 痛み止めはして 一週間  の猶予期間をもって 死へ至ってもよい
 *意識のないときでも 一週間だけは補助具装着しておく、それ以上は必要なし
残された者が 悩まない方法を考えておくことだろう
自分の最後の危機管理として
これを決めておく また 決断順位は本人、配偶者、子としたい
人間どこまで行っても迷う
どうしても決まらなければ 10円玉の裏表でいいのだ
これこそ 運? 仏にすがる道だろう

まあ 人それぞれであろう
強制するものでもない
(明日 考えが変わるかもしれないが)
現時点で!