頼祺一先生(春風から六代目)講演会
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菊薫るかぎり茶山の文化あり(陶子句)
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菅茶山(1749~1827)
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頼春水(1746~1816)春風 杏坪 の三兄弟として知られている
頼山陽(1780~1832)春水の子
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茶山京都遊学中大阪遊学中の春水を訪ね交際がはじまる。
茶山最後の遊学を終えての帰路春水を訪ね半月滞在中に大坂の詩社混沌社の同人と交流。詩風にも大きな影響を受けた。(事実を重んじる宋風に)
春水竹原帰郷往復には茶山を訪ねた。夜もすがらものがたる間柄。
茶山と山陽が初めて会ったのは宮島に遊んだ時春水宅。9歳皆可観(見るべきところあり)。
1年2か月(山陽29歳?~)廉塾に来ての塾長をしていた(行状は悪い)。
のちには『再造の恩』としているということは、ここを足場に世に出たかった?
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茶山教師像
丁寧律儀
塾は芝居と違い、はやらすことではない
身持よく、人を取り立て、書をよく読み これを楽とも慰みとも思うこと
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13:30から15:00
よき文化の日であった
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菊薫るかぎり茶山の文化あり(陶子句) 重ねて掲載