夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 四[注意について]

2019年07月09日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§4

Das theoretische Bewusstsein betrachtet das, was ist und lässt es, wie es ist. Das praktische hingegen ist das tätige Bewusstsein, welches das, was ist, nicht so lässt, sondern Veränderungen dar­in hervorbringt und aus sich Bestimmungen und Gegenstände erzeugt. — Im Bewusstsein ist also zweierlei vorhanden, Ich und der Gegenstand, Ich durch den Gegenstand oder der Gegenstand durch mich bestimmt. — Im erstem Falle verhalte ich mich theo­retisch.

第4節[注意について]

/理論的な/意識は、それが何であるかを考察し、そして、それをあるがままにしておく。これに対して、/実行的な/意識は、現状をそのままにするのではなく、むしろ、そこに変化をもたらし、自ら規定して、様々な対象を作り出す能動的な意識である。
したがって、意識のうちには二つの側面がある。「私」と対象であり、(その二者の関係は)対象によって規定される「私」と、あるいは「私」によって規定される対象である。前者の場合は、私は自ら理論的に行動する。(後者の場合は、実行的に行動する。)

Ich nehme die Bestimmungen des Gegenstandes in mich auf, wie sie sind. Ich lasse den Gegenstand, wie er ist, und suche meine Vorstellungen ihm gemäß zu machen. Ich habe Bestim­mungen in mir und der Gegenstand hat auch Bestimmungen in sich. Der Inhalt meines Vorstellens soll, wie der Gegenstand ist, beschaffen sein. Die Bestimmungen des Gegenstandes an sich sind Regeln für mich.

私は対象の規定を、/それらがあるがままに/私の中に取り入れる。私は対象をそれがあるようにしておき、そして私の表象の方を対象に合致させようとする。私は私の中に規定されたものをもち、そして対象はまた自らのうちに規定されたものをもっている。私の表象の内容は対象のあるがままの性状でなければならない。対象の規定は本来、私にとって基準である。

Die Wahrheit meiner Vorstellungen besteht darin, dass sie mit der Beschaffenheit und den Bestimmun­gen des Gegenstandes selbst übereinstimmen. Das Gesetz für unser Bewusstsein, inwiefern es theoretisch ist, ist nicht voll­kommen passiv, sondern es muss seine Tätigkeit darauf rich­ten, das Gegenständliche zu empfangen. Es kann etwas Gegen­stand für unsere Wahrnehmung sein, ohne dass wir deswegen ein Bewusstsein davon haben, wenn wir unsere Tätigkeit nicht darauf richten. Diese Tätigkeit im Empfangen ist die Aufmerksamkeit.

私の考えが/真実/であることは、私の考えていることが対象自体の性状と規定とに合致しているということである。私たちの意識にとって法則は、それが理論的である限り、完全には受動的ではなく、むしろ対象を感受することに、意識の活動を集中させなければならない。私たちが私たちの活動をそこに集中していないときには、そのためそれについて意識をもつことがないが、それでも私たちの知覚の対象となりうる何物かがありうる。感受するためのこの活動は/注意/である。

 

意識について論じた後、その意識の二つの側面として、「私」と「対象」を取り上げる。「私」と「対象」の二者の関係を意識するのは、「対象」をあるがままに「私」のうちに受け入れる「理論的意識」と、「私」が「対象」を規定し、作り変える「実行的意識」である。「理論的意識」が真実Wahrheitであるためには、私の考えと対象の性状や規定が合致していなければならない。知覚の対象を「私」の意識のうちに取り入れるためには「注意Aufmerksamkeit」が必要である。

 

 

 

 

 
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