夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

国家による失業、貧困からの解放①

2008年12月15日 | 国家論

 

この秋の9月15日、アメリカの証券会社リーマンブラザースの破産に端を発した金融危機は、その後いっそう深刻化し、単に英米経済圏のみならず世界中の実体経済に深刻な影響を及ぼしつつある。

金融恐慌や経済不況の実体は過剰生産恐慌によるものである。それは社会的な生産活動と私有財産制との矛盾によって生じ、社会的な生産活動によって可能になった大量生産が、その供給に見合った需要を見いだせないためである。生産における剰余価値の搾取によって、需要を支える購買者の賃金総額がその供給量を消費しきれない。

このような状況は市民社会の形成以来から存在し、フランス革命や共産主義革命などによって、その解決をめざして歴史的にもすでにさまざまな試みが行われてきた。共産主義運動は、生産手段の社会的な所有によって、この問題の解決に取り組もうとした。マルクスなどはブルジョア国家性悪説にたち、プロレタリア独裁国家によって人類から貧困と失業の問題の解決をめざしたが失敗した。

共産主義運動は、それが資本主義の矛盾に対する反対勢力として活動している間は一定の意義を持った。しかし、みずからいったん権力を獲得すると、解放のための権力が、市民社会の自由を抑圧する権力に転化し腐敗した。それは共産主義運動の官僚テクノラートと一般大衆とのあいだに、資本主義以上の深刻な矛盾を引き起こすことになった。市民社会の生産力を解放することにも失敗して貧困の一般化を招き、二〇世紀末には歴史の舞台から退場することになる。

それ以来今日まで、社会的な生産活動と私有財産制と競争原理にもとづく市民社会の自由な生産活動によって引き起こされる過剰生産恐慌の矛盾を解消する理論も実践も生まれていない。今日に至るまで、市民社会の貧困、失業の問題は、恐慌として深刻な循環を繰り返しながら人類を業病のように悩ませている。

こうした景気局面においては、国家による貧困と失業の救済と調整とが必要十分に機能しなければならない。しかし、それを十分に実現しえている国家は未だ世界のどこにもない。階級矛盾の解決は、プロレタリア独裁国家によってではなく、プロテスタント国家、プロテスタント政府の手によって実行されなければならない。ただ今のところその可能性をもっとも近く秘めているのは、残念ながら日本ではなく、やはり北欧諸国やアメリカであるようだ。オバマ政権と麻生政権は、それぞれの国家の本質を見極める上でそのよい比較になる。

 

 

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