江戸時代の日本の人口はおよそ3000万人くらいだったと言われています。そのなかでも江戸はおよそ100万人もの人々が住んでいた、当時世界一の大都会でした。
参勤交代などあって、地方からの人の出入りも多かった。これらの人々すべての胃袋を満たすには
大量の作物を必要としました。
しかも当時は鎖国していましたから、食料の輸入はほぼないわけですから、すべて国内で賄わなければならない。
そこで発達したのが、肥料でした。
作物を育てるのに必要な栄養素は、窒素・リン酸・カリ。理科で習いましたよね?
これらすべての要素が含まれているもの、それは
人が出す糞尿、いわゆる「下肥」です。
ただ下肥には炭素も含まれており、これは邪魔。でも炭素は下肥を発酵させれば無くなる。
こうして人の糞尿が、作物を育てる肥料となったわけです。
そうして、100万人の出す糞尿を買い集める商売、「汚穢(おわい)屋」なる商売が誕生するわけです。
江戸の庶民が多く暮らしていた長屋には共同便所があって、汚穢屋さんはそこから糞尿を買い取っていく。
長屋を管理していた大家さんが、売った代金を受け取るわけですが、これが大家さんにとっては結構な収入源だったらしく、喜んで売ってくれた。
そうして買った下肥を、江戸周辺の農家に売る。農家の側も喜んで買ってくれる。
まあ、決して人気商売だったわけではない。それはわかりますよね?でも江戸の社会を維持していくには、無くてはならない有難い存在だった。
汚穢屋さんのお陰で、江戸市中は清潔さが保たれていたわけで、同時代のパリなどでは、糞尿を路上に捨てていたと言います。だからパリの街中は糞尿の匂いに塗れ、その匂いを消すために香水が発達したとか。えらい違いですね。
この他、廃材の再利用も盛んに行われており、取り壊した建物に使われていた材木の再利用は普通に行われていたようだし、紙屑なども新たに漉き直して再生紙として使っており、こうした紙屑を集める商売もあったようです。
ことほど左様に、江戸では循環型社会が確立されていました。
こうしたかたちは第2次世界大戦以前までは続いていたようですが、戦後急速に廃れていった。そのことの是非はともかくとして
SDGsなんてことを言われていますが、日本にはかつて、こうした循環型社会が確立されていたのです。
日本って、凄いね。
この「汚穢屋」と、長屋に住む浪人の娘との、仄かな恋模様を描く時代劇
『せかいのおきく』
4月28日より、愈々公開!
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