縄文時代は現在よりも気候が温暖でした。
ですから、当時の人口は暖かくて過ごしやすい東日本に集中しており、また当時の西日本は暑すぎて、人が暮らしていくにはちょっとしんどかった。だから西日本には人があまり住んでいなかったらしい。
縄文時代なんていうと、原始時代であるかのようなイメージを持っている方も多いかと思いますが、それはとんでもない勘違いです。
縄文土器や土偶から見受けられる豊かな精神性。縄文土器は朝鮮半島やアメリカからも発見されており、その起源は日本。
磨製石器が最初に作られたのも日本だし、かつて往古の日本は、世界の先進地帯であったといっていい。
青森県の三内丸山遺跡は、「縄文都市」といってもいいようなものです。縄文時代は狩猟採集がメインであり、狩猟採集生活が移動が基本で、定住はなかったと思われがちですが、ところがあにはからんや、縄文人は定住していたんですね。
三内丸山遺跡は縄文時代中期から後期中葉にかけて、およそ1700年に亘って栄えた。大型の倉庫のような建物跡や、栗の木を正方形の4隅の位置に建てた掘っ建柱建築物の跡などが発見され、かなり大規模な都市であったらしい。
常時数百人は暮らしていたと思われる都市がなぜ廃棄されたのか、よくわかりませんが、徐々に寒冷化が進んでいく中で、人々が南へ移動していったということなのかもしれない。
いずれにしろ
豊かな精神文化を育んだ縄文時代の日本は、東日本が中心だった。
この縄文の記憶が、高天原伝説の起源であるとするのは、東北大学名誉教授の田中英道氏。
田中名誉教授によれば、縄文時代の東日本には、村落共同体とも言うべき「国家(日高見国)」がすでに存在しており、その国家を緩やかにまとめていた家系こそ、
皇室の起源である、とする説を唱えています。
詳しくは田中名誉教授の著書を読んでいただくのが良いと思いますが、私なぞは、この日高見国の首長が現在の皇室にダイレクトに繋がっているというよりは、
日高見国から現皇室へ、
権利が譲渡された、のではないか
なんてことを、漠然と考えています。
まあ、わかりませんけどね。
いずれにしろ、です。
従来の「西高東低」的歴史観からは見えてこない、日本の豊かな歴史が見えてくるような気がしませんか?
歴史にはまだまだ、掘り起こされていない広大な土壌が広がっています。掘れば掘るほどに、知られざる歴史が見えてくる。
歴史はロマン。歴史はエンタテインメント。
歴史ほど面白いものはない。
西高東低って、大変失礼な物の言いようですね…。
歴史は、ロマンですね。
私も田中英道氏の本でも買って、学んでみようかしらん。
面白い方です。