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流れに任せて

映画『峠 最後のサムライ』

2022-06-29 10:24:44 | 時代劇

武士道が儒学と融合され、精神性の高い哲学として大成したのは、江戸時代末期と言われています。

 

哲学とは、何を美しいと感じるか、という感性であるそうな。

 

武士道とは「いかに美しく死ぬか」という道であり、それはつまり、「いかに美しく生きるか」ということ。

 

【武士道とは死ぬこととみつけたり】とは、【武士道とは生きることとみつけたり】と同義なのです。

 

この映画の主人公河井継之助は、この「武士道」に準じた典型的な人物として描かれています。これはおそらく、小泉監督思うところの「理想の武士」像であり、「理想の男性」像なのでしょう。小泉監督はこの河井継之助という男に、己の理想を仮託したのだね。

 

広く世界を見る目を持ちながらも、あくまで長岡藩家老としての「立場」を遵守し、いくさを回避する道を模索しながらも、いざいくさとなった時の準備万端怠りなく、当時最新の兵器ガトリング銃=マシンガンを装備する周到さ。

 

ある意味、「今」の時代にこそ必要な在り方だなと思いながら、観させていただきました。

 

ただ映画としてはねえ、ちょっと盛り上がりに欠けるというか、平板に過ぎるんだな。

 

河井継之助は確かに理想の武士かも知れないが、正直喋り過ぎ。それもやたらと格言めいたことばかりをべらべら喋る。役所広司さんが演じているからまだ観られるけど、役所さんでなかったら、うんざりしますよ。

 

戦闘シ―ンはなんだか30年~40年くらい前のテレビ時代劇みたいで、今どきこんな演出で観客が納得すると思っているのか甚だ疑問。

 

河井継之助の将としての有能さもほとんど描かれておらず、司馬遼太郎の原作では、敵将山県有朋との駆け引きがスリリングに描かれており、原作のファンはそのシ―ンが観たかったに違いない。

 

しかし映画ではまったく描かれていないんだな、これが。

 

原作ファンの期待を見事に裏切った。恨まれますよこれは。

 

監督が思い描く「理想の武士」像は描けたかも知れませんが、映画としては甚だ盛り上がりに欠けるし、幕末史の複雑さと相まって、なかなか一般受けはし難いかなという印象。

 

映画のラスト、継之助が妻に宛た手紙に記されていたという、古今和歌集の一首。

 

【かたちこそ深山がくれの朽木なれ心は花になさばなりなむ】

 

河井継之助が、小泉監督が理想とする武士像が、この歌に凝縮されている

 

ということでしょうか。

 

 

最後に

 

継之助の父親役の田中泯さんが良かったですねえ。

 

隠居の身とはいえ、まるで古武士のような威厳、一本芯の通った強さ。

 

やっぱり、田中泯しか勝たん!

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1 コメント

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ものづくりDXコア技術 (X-CEO)
2024-03-29 23:13:21
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学思想にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の工業・工学・技術の一神教的観点でなく日本の独創とも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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