問わず語りの...

流れに任せて

エミシとアイヌ

2022-03-02 14:31:16 | 歴史、民俗

日本に水田稲作技術が伝播し、弥生時代となっても、北海道や東北北部ではその後もしばらく縄文文化主体の時代が続きます。寒冷地であったがために、稲作は難しかったわけです。

縄文文化→続縄文文化と続き、北海道ではさらに擦文文化へと続いていきます。

 

その後北海道には、北方のオホーツク海あたりに住む少数民族、いわゆる「オホーツク人」が大挙して乗り込んできたらしい。

これはアイヌ人の遺伝子研究の成果によってわかったことで、アイヌ人というのは縄文人をベースとしながらも、北方のオホーツク人がこれと混血し、縄文の血をほぼ駆逐してしまったものたちの子孫なのです。

その言語は北方系のもので日本語とは言語体系が一致せず、その文化は北方民族の影響を強く受けている。熊を神とする文化は縄文系というより北方民族のものに近いらしい。そしてその成立はなんと

 

鎌倉期から室町期にかけて、意外と新しいのですよ。

 

言語も文化も日本古来のものとはかけ離れている。しかし北海道には元々北海道縄文人が住んでいたので、つまりアイヌとは、

北海道縄文人を駆逐した新参者であり、

北海道の「先住民」とは言えない。

 

感情的、心情的なものはともかくとして、あくまでも学問上は、アイヌ人は北海道の先住民ではない。

北海道の先住民は、北海道縄文人である。

アイヌはその、北海道縄文人を駆逐した

新参者。

 

これが、学術上の結論。

 

とはいえ、少数民族の文化なり言語なりを保護すること自体は、大変意義あることです。これを続けるのはよいことです。

 

でもね、なにかそれが、変なことに利用されるのは勘弁願いたいですね。

 

アイヌは北海道に長いこと暮らしていた少数民族ではある。しかし決して先住民ではない。

先住民はあくまで、北海道縄文人。

 

この学術的結論は、はっきりさせておくべきですね。

 

 

東北にはいわゆる「アイヌ語地名」なるものが残されており、かつて東北にはアイヌ人が住んでいた、東北蝦夷とはアイヌ人のことだ、という言説がまことしやかに流されおり、それをもとにした小説なども執筆されております。

しかし、アイヌ文化の成立が鎌倉から室町に掛けてなら、これは成り立たなくなる。岩手県中央部の北上平野に前方後円墳が構築されたのは古墳時代末期、4世紀から5世紀あたりのこと、前方後円墳の構築は大和朝廷の影響下にあることを示すことであり、アイヌ文化成立よりはるか以前に、大和朝廷の支配が岩手県中央部におよんでいたのだから、それ以降にアイヌ語による地名が成立するとは考えにくい。つまり

アイヌ語地名というのは

壮大なる「勘違い」であり

 

アイヌ語と思われていたのは、古代縄文語それも東北訛りが多分に加わったもの

なのではないかと考えるのが、妥当でしょうね。

 

 

古事記や日本書紀等に書かれた蝦夷が、大和朝廷に服属しない縄文系の人々であったことは確かでしょう。しかし、縄文人だ弥生人だ言っても、結局は同じ民族、同じ日本人だったわけですから、時代が下るとともにその意味合いはあやふやなものになっていく。やがて蝦夷(エミシ)は「エゾ」と読まれるようになり、これが北海道及びアイヌ人を指すようになっていく。

 

エミシ、エゾは時代によって意味合いが違う。その辺がごっちゃになっていたから、かつて東北にはアイヌ人が住んでいた。なんて言説がまことしやかに語られてきた。

でもその言説は、最新の学術データによって覆されました。東北人はいい加減、この「夢」から、

 

醒めなきゃなりません。

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4 コメント

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Unknown (チャメ子)
2022-03-04 14:21:35
アイヌ人は、北海道の先住民ではない。
アイヌ語も、縄文人が使っていたもの。
しっかりと間違えないように憶えておきます。
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Unknown (玲玲)
2022-03-04 21:51:44
夢、なんですか…。大和とは違う!ってことなのかな?東北は国津神を大事にしていた民族である、と思っていたのですが。アイヌ文化も変な話に持って行かれてますね、Twitterでは切り取った情報も流れるので、微妙な気持ちでした。
風土記で読むと、こちら茨城県では土蜘蛛のように描写されていたり、後伝で変わったことも沢山あって蝦夷については調べられてないことが多いと思います。その点東北はちゃんと歴史が残ってる、それ素晴らしいです。
想像では茨城県は藤原氏が来てたのか物部氏が持っていた土地なのか、地名から神事に使う麻であったり鹿がいた土地なんですが、うちの近所。春日大社に鹿を連れて行った話からもそうで、って話がズレた。
ウルトラマンの歌を歌ってくれる息子を見て、今とってもワガママですが、光の国からやって来たのだと思います。
これから大津波が来たら、茨城県無くなるかも、福島栄えるかも、って本当に妄想してます、ちゃんと青年まで育ててあげられたらラッキーです。私。
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Unknown (薫兄者)
2022-03-05 04:20:25
チャメさん、東北にはアイヌ語っぽい地名が残っていたりすることは確かなんです。私の住む町の近くにも、達古袋(たっこたい)、戸河内(へかない)とかね。これらをアイヌ語だとして、古代東北にはアイヌ人が住んでいた!という説が浸透していたし、今でもそう思っている東北人は多いと思う。でもアイヌ文化の成立は14世紀ごろでそれを溯ることはない。文化と言語は不可分ですから、アイヌ文化のないところにアイヌ語もまた、ないんです。
北海道には本当のアイヌ語地名が残ってます。北海道は一時期、アイヌ人が席巻していたわけですから、地名くらい残るでしょう。札幌とか稚内とか、箱館もそうだし厚岸とか真狩とか、いっぱいある。確かにこれら北海道の地名と、東北にある地名とは似てるんですよ。でもねえ、アイヌ文化成立の時期を考えると、東北に残っている上記のような地名をアイヌ語だとするのは、無理があるのではないかと、思わざるをえません。北海道の地名にはアイヌ語地名がある。でも東北は違うと考えるのが、妥当じゃないかと思いますねえ。
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Unknown (薫兄者)
2022-03-05 04:38:02
玲さん、そう、大和とは違うというところにアイデンティティを持とうとする東北人は、今でも確実にいるんですよ。それこそ縄文人は弥生人に駆逐されて、東北や北海道、それと沖縄と、両サイドに追いやれたんだ、みたいな説を信じて、大和は侵略者だから抵抗するんだ!まあ、そこまで極端な考えを持つ人は滅多にいないと思うけど、縄文VS弥生みたいなスタンスで中央と東北の対立の構図みたいな感覚を、はっきりと自覚しているわけではないけれど、潜在意識のなかにそういう感覚がある人って、案外多いような気がする。
でもそういうのって、疲れるんだよね。対立は疲れる。もうやめようよって感じ。縄文人も弥生人も同じだってことがわかったんだし、確かに阿弖流為の時代とか、対立した時期もあったけれど、そこを変に大事に捉えるのはもうやめよう。なんか最近、ホントにそう思うんですよ。
東北人は国津神を大切に守ってきた、立派な日本人です。そこにアイデンティティを持とうぜ!今はそう思います。

子供はみんな光の国の子。大切に育ててね。大丈夫、茨城県はなくならないよ。
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