モノクロ版観てきました!すんげえ良かった!
色がない分、よりドラマに没入できるのか、色付きの奴より泣けてしまった。もうねえ、涙止まらんのよ、参ったよ。
モノクロといっても単に色を抜いたというだけじゃない。今はデジタル処理が出来るから、モノクロなりの非常に繊細な「色合い」を出していて、これが良いんだ!
色合い、色彩なんてないはず?いやいや、それはモノクロってものを舐めてますね。
モノクロにはモノクロなりの色彩、ていうか、モノクロでなければ出せない色彩ってのがあるんです。これはね、観てみないことには理解しようがないだろうと思う。
あとは「濃淡」ね。これは本当にモノクロならでは、モノクロでなければ出せない味わいでね。窓から差し込む日の光に照らし出される典子(浜辺美波)と、光の当たらない暗いところにいる敷島(神木隆之介)とのコントラストとか、もうね、この濃淡、光と影が、まるでアートのような奥深さを画面に醸し出しているのよ。
あれはちょっと、震えてしまった。それくらい素晴らしい。
これはたぶん、カラーの映画をモノクロにしたからこそ味わえるものなのだろう。最初からモノクロだったら、案外わからなかった、味わえなかったかもしれない。
なんかね、黒澤明監督がモノクロ映像にこだわった理由の一端が、あくまで一端ですよ、一端が、なんとなくわかった気がしました。
カラーをモノクロにするのは、意味がある。まったく違う映画がそこに現れるからね。
カラー版より泣けたし、カラー版より怖いし、いやこれは
凄いものを観させていただきました。
でもだからと言って、モノクロ映画に色を付けるのは違うと思いますね。
モノクロ映画というのは、ある意味「完成」されているんです。だからそこに色を付けたところで、それは「余計なお世話」にしかならない。
実際『ウルトラQ』のカラー版を観たことありますけど、だから何?って感じで、特別どうということも感じなかった。正直
意味など感じない。
初代ゴジラをカラー化するとか、そういうことはするもんじゃない。あれはモノクロだから良いのです。ましてや黒澤明作品のカラー化とか、そういうことはある意味
冒涜です。
モノクロ映像のもつ「芸術性」、これはエンタテインメント性をも高める結果となることが、今回『ゴジラ-1.0』のモノクロ化によってよくわかりました。でもそれにしたって
相当繊細な「色彩」設計あってこそのこと。そんな単純なものではないということも
よくわかりました。
モノクロにしろカラーにしろ、映画の「色」というものを
甘く見るなよ、と言う話。