愛のつるし一回転飛行機

けん玉姉のけん玉普及活動日記。
2008年秋、転移性乳がん患者となる。
病気のこと、日々の生活なども。

「よげんのしょ」の絵?

2010年12月23日 | 

 自分は小学校の低学年の頃、自由に絵を書きなさいと言われ、未来のビル街をクレヨンで描き出しました。ビル街の中央に相似形のひときわ目立つ大きなビルをかき、先生に「これは?」と聞かれて「未来都市です」と答えました。

「へえ、ずいぶんかっこいいビルだね。」 先生に言われてわたしは自分のデザインが褒められたと思って喜んでいました。「先行き、こんなのができると思うんです」

「いつ頃のどこなのかな?」

「えっと、たぶん、21世紀の東京」私は得意げに答えてました。

「でも、それはなに?」先生はその絵をのぞきこんで、ビルの後ろに書かれた青く塗られたものに気がついていぶかしげにききました。

「水です。後ろから大きな波が来てるとこです。」

「えー?!」
先生はびっくりしてました。
「水に呑まれちゃうの? なんで?」

「それは・・・津波かなんかがきてそうなるような気がして・・・」

「で、この前から出てるのは?」   

「あふれた水が窓から飛び出てるとこです・・・」

「うひゃあ、やめてくれよ。なんでそんなの描くの? 怖いじゃないか。」

「ええ・・・そうですね・・・」

わたしは思い浮かぶままに描いてしまったことを後悔して、後ろの波が別のビルに見えるようにつぶして書きなおすことにしました。でも前側に飛び出したやつはごまかしにくくてあまりうまく消せませんでした。

今思うと、夢のことを覚えてたんで描いたんですね。まるで漫画の20世紀少年にでてくる子供の作った「よげんのしょ」みたいです。

まア、ああいう破滅テーマストーリーは昔は作品が効果的にリアルに作れたらそれでいいなどと思ってましたが今は、ともかく悲劇でみせようとするのが安直でいやで・・・悲劇は充分現実にあるのでフィクションぐらいはハッピーなものがいいと思うようになってるんですが・・・

ただ、問題なのは私のこの事が漫画でもフィクションでもないということです。

やっぱり、一種の予言とも言うべきものになるのでしょうか?

でも、その予言なるものが私はきらいです。悲劇的なやつばかり多いのがいやで・・・だから夢のなかでも反発してたわけで・・・
破滅願望とでも言うんでしょうか? そういう気持ちを持つ人が結構多くて、その流れに乗って預言者扱いになる人が時々、いますよね。

 スピリチュアルの世界では引き寄せとか言って、多くの場合はそれを信じたり心配する心がその状況を生むといいます・・・当たる予言てのはそれ自体が霊的な力のある多くの人たちに信じられる事で悲劇を引き寄せて作ってしまうようなところもあるんじゃないでしょうか。

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天罰と予言の使い方 (Nパパ)
2011-06-11 15:06:12
 この夢のなかで喋ってた神みたいな男としての自分の記憶は全部は、はっきりしません。ですが、自分の人生についての部分は・・・どうも、目論見通りに子供の自分が反応しないもので、あせってしまい、何とか早いところ神の力を出させようと思うあまり、おどしつけてしまった。それでこれでもか、これでもかとみせつけるうちにエスカレートさせて・・・元々、世界全体の問題としてどうなるか多くの魂たちを試す部分はあったにしてもどうも必要以上にひどい悲劇にしてしまったんじゃないかと・・・
 

 その思いとして・・・『ちょっと優しいやつに設定しすぎたか・・・でも、身勝手なやつだと力を悪用されかねないから・・・これぐらいにせざるをえないんだが・・・ともかく、どうでもやらさんと・・・』とか悩んでたのを覚えています。

 さらに、記憶では、向うの自分はなんか、初めは割に簡単に行くと思ってたらしいんです。おそらく、神の自分が人間をやるのだからたちまちのうちに頭角を現し、どんどん人々をうまく導いていけるとか思ってたようで・・・ところが、それがまるで話にならなかったわけで・・・

なんか、その時は力はあってもバカな存在だったんでしょう・・・そんなものにあわせてやる事にやはり、疑問を感じます。

なので、わたしはこういう自分の経験というか記憶があるという事実はしかたないとして、この巨大な災害部分については夢の通りになるということでは無いと考えようと思います。

だいたい、わたしは問題のよげんの絵の大波の部分を消したのです。

だからなかった。だから起こらない・・・それは大きな波としてはもう起こらないものとなっている。こう考えてもいいんじゃないでしょうか?

ただ、ひっかかるのが変な知事が都庁の七階に津波がこなきゃ天罰じゃないとか言ったことです。ホントに余計なことを言う人だ・・・こんな事を言うから人が意識してしまい妙な引き寄せになってしまいかねなくなってしまう・・・

しかし、自分はもう一段階違う視点でこの体験を整理分析し、良い方向へ調整できるのではないかと考えて今、これを書いています。


安直な悲劇願望でなくとも、ハッピーなものでありながら、甘くもなく人の魂が現世を充分に納得しうる感動的な優れた現実ドラマならいいはずでしょう・・・・・・

 神なるものがいたとしてこんなベタなつまらない世界シナリオを切ったのはろくでなしのわがままな魂たちをやっつけようと思ったり、病的な魂たちの破滅願望をきいたり、あとは全体を意識してそれがあるようにするために終わりが必要だったせいでしかないと思うのです・・・でも多くの霊が思う悲劇を体験するのが成長などという考えは幻想でしかなく、
結局、意味のない悲しみでしかないとわかったはず・・・

 だからそれはもうかきかえたほうがいい。もうどうしたいのか分かったのだから最初のシナリオのまま、これを続ける必要はなくなったと思いたいです。

 それでもどうしてもこんなシーンがいると言うんならアホなこと言った者やら、その仲間だけが言ったことの責任とってそういう目に合ってりゃいいと思うんですよね・・・丁度、消せなかった飛び出した水はそのあたりからだけ出てたみたいだし・・・みんなが引き寄せてできるってんなら、これを見る人がそう思うことで、なんかそういうとこだけの水の絡むような事件で収まるようにできないものかとか・・・

天罰なんてものがあるんなら本来そういうもんであるべきでしょう。罪のない人の犠牲は要らない筈です。

 まあどこまでいっても夢の話でしかないのかもしれないんですが・・・
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