アンナdiary~Part2

日々のこと。拓哉のこと。

いよいよクランクアップへ

2019年07月15日 11時54分35秒 | diary

昨日今日のweibo見ると、風間教官は今日がクランクアップ
みたいですね。

https://m.weibo.cn/detail/4394083025587793

https://m.weibo.cn/detail/4394182334003796

昨日は....
撮影現場みんなも楽しんでいました!気づけば、明日風間はクランクアップです!
そして今朝は、おはよう!さあ、クランクアップに向かって、出発って。

モノクロの写真がもう見れないのは寂しいけど、来年には色のついた
素晴らしい作品を見ることが出来る。
今年の12月は、日9の撮影と教場の番宣でえらいことになりそうだ。
でも、拓哉はすべてのことを楽しみながら乗り越えるでしょうね。

 

ジャニーさんが亡くなってから、ジャニーさんエピソードを色々見たり
聞いたりするんだけど、とにかく「楽しむ」って言葉に尽きる人だなって
それって、拓哉が信条にしてることじゃん。

あるグループのひとりが「僕頑張ってます!」って言ったら
ジャニーさんが「頑張るのは当たり前!楽しまなきゃ!」って。

拓哉も常々「楽しんで」って言ってる

こんなに叩かれた人もいないと思う。
それでも、彼の口から負の言葉が出たことがなくて
それすごいなっていつも思うの。


それ、ジャニーズ事務所もそうなんだよね。
私がもの心ついた時から、ジャニーさんもジャニーズ事務所も
叩かれてた。普通、事務所の社長さんの名前が前面に出るってないし
しかも叩かれるってないしね。
でも、決して言い訳も何も言わない。

それこそ、どんな嵐の中でも「SHOW MUST GO ON!」の
精神なんだよね。
自分たちが送り届けるものを見せていくことがすべてなんだと思う。
そこ、ジャニーさんの意思を継承してるよなぁ。

拓哉がジャニーズ事務所に入所したのは1987年。
あれから32年。
人生の半分以上がジャニーズ事務所。
ジャニーに会わなかったら、ジャニーから蜷川さんを紹介して
もらわなかったら、今の木村拓哉はいないとずっと言ってる。
だから彼は事務所から出なかったんだし。

 

昨日スポニチのこんな記事が流れてきた。

ジャニーさん 思い出す言葉「はい上がってきたんですよ」

この記事、ジャニーが亡くなった翌日に配信されてたんだ。
初めて見た。

この中で、記者がジャニーさんに初めて怒られたことが
書かれてる。

SMAPの解散騒動のさなか。SMAPのマネジメントを長年担当してきた
女性マネジャーのIさんを「育ての親」と書いた記事への抗議だった。
「ボクがメンバーを選んで、グループ名を付けて、路線を決めて
紅白(歌合戦)に出場できるようにもした。
それなのにIが育ての親だって言うんですか?」って。

この記事をどう解釈するかは、人それぞれだろうけど。

Iさんが育てていないとは言わないけれど
自分がsmapをここまでにしたっていうおごりが勘違いを生み
派閥を生み、あんな顛末をもたらしたと私は思うんだけど。

拓哉がラジオで時々彼女の話をすることがあったけど
私の中では、高級ブランドをあさるおばさんのイメージしかなくて(苦笑)
仕事も準備期間がまるでなく、DVDがいきなり送られてきて
その監督の作品やるかやらないか今日中に決めてって言うような人。

Iさんを異常に崇拝するスマオタさんいるけど、すごい違和感。
もちろん仕事はひとりで出来るものじゃない。マネージャーさんの力も
もちろんあるけど、私たちが受け取るものは作品であり楽曲であり
ステージであり。マネージャー云々ではないんだよ。

そもそも、マネージャーを崇拝して何かを語る自体
おかしな話なんです。

私はロンバケで拓哉に落ち、彼が生み出す主人公に魅力を感じて
ファンになりました。
そして彼が所属してたグループが歌っていた楽曲に心癒され
ステージに魅了されてきた。

プロデューサーは裏方に徹するものです。

あまり言いたくなかったけど、自分の中でずっとおかしいと思っていたので。

まだまだ言いたいことは山ほどあるけど、負の言葉は独り歩きしてしまうので
今日はこの辺で。


昨日のFLOWと木村さ~~ん!は最高でした。
糸井さんと拓哉の会話は、永遠と聞いていられる。
後日、ほぼ日で放送されてない分も活字にしてくださるそうなので
楽しみにしています。

若かりし頃の拓哉に出会ったのが糸井さん40代。
今の拓哉ぐらいかな?

先週言って初めて知ったけど、糸井さんはちょうどこのころ
人生に行き詰ってた時で、拓哉に出会って救われたと。


  木村拓哉に感謝“ほぼ日”立ち上げは「木村くんのおかげでもあるんだよ


「当時から木村くんが偉かったのは、一から自分でやること。
 一緒に釣りに行ったときに雨が降ってきて……そしたら、四の五の言わず
ビューンとコンビニまで行って、みんなのぶんの雨がっぱを買ってきてくれた。
そういうところがいいなと思った」

その年の男の子がやることを 下駄履かずにやるんだよ。
 事務所に来るのにハンバーガー 沢山買ってきたり
若いのに気遣いは当時からすごくて、さりげなく、そして1から何かを
やるのが好きな男なのですよ。

糸井さんにとって今どきの若い子って、どんなイメージ?って
拓哉が聞いたら「薄着」って言った時の、拓哉の大笑いに癒された

波乗り兄ちゃんの休憩所が閉鎖されてから、会うこともなくなり
ジブリのコピーやってたのに、会うこともなく。
でも、時を経て今こうやってラジオでふたりの語りを聞くことができ
幸せな気持ちに包まれている

今でも、糸井さんは拓哉が好きなんだなって伝わってくる。
あっという間に距離が縮まってあの頃にタイムスリップ

ずっとずっと聞いていたい。

それから木村さ~~ん!

#50「木村拓哉と森山直太朗のセッションが実現!プライベート・スタジオへ潜入!」

こちらも、ある意味タイムスリップ!

森山直太朗との代々木上原・八幡散策。
拓哉がこのへんに住んでいたって、あまり印象がなくて
だから「ここ、おばあちゃんがバイトしてたとこ」
八幡の銭湯は「おばあちゃんちにお風呂がなかったから」
銭湯に行きたくて行ったわけじゃなく、生活の一部だったこと。
幼稚園もこの辺だったんだね。

まだまだ木村拓哉の知らないところがファンでもあるんだな~って。
でも、そういうところも言えるようになってきたっていうのは
アイドル降りたからかな?って思う。

直太朗とのOne Chance!最高でした。
準備するでもなく、さりげなくそこにあったギターを手に取り
私にはわからないギターの話を始めて、自然と歌い始めた。
歌詞忘れてごまかしながら歌ってたけどw

何が良かったかって、森山直太朗と拓哉がこんなに合うとは
思わなかった。
直太朗が面白くて 拓哉との相性が抜群にイイ!
ナオは木村拓哉に躊躇せず、でも程よい距離感とリスペクトを持って
懐にスルっと入り込む。
ニノとはまた違った人たらし 楽しかった

拓哉は懐にすっと入る人、好きだと思う。
木村拓哉というネームバリューに殆どの人が臆してしまうところだけど
そこは臆することなく飛び込んで行ける人は扉を開けてくれると思う。
ただそこには、品のいい距離感を保てる人で、拓哉がリスペクト出来る
相手であることも条件のような気がする。
もちろんお互いが。

たとえ年下でも、拓哉はこいつすごいとリスペクトするからね。

是非!是非!またナオとやり残したことをまたやって欲しい。

上原銀座行って、大勝軒のB定食食べて八幡の銭湯に入る

代々木上原、八幡、東北沢、池ノ上、渋谷は私の10代の
通学路でもあり、遊び場でもあったので余計に楽しかったなぁ

4週に渡って放送された直太朗との散策、終わっちゃった。
寂しい~~~!

 

今日も見に来てくれて、ありがとう