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食いしん坊みゆちゃん

 みゆちゃんは、近頃かなり食いしん坊である。食いしん坊といっても、主食のキャットフードをいっぱい食べるふくちゃんの食いしん坊とは違って、おやつ用のちょっと贅沢なカリカリをねだりに来る、グルメな食いしん坊である。
 食欲の秋だけれど、みゆちゃんの食欲は、もうだいぶ前のまだ暑い頃から旺盛である。食欲がないよりはいいけれど、私がパソコンの前に座るたびに、机の上に置いてあるおやつをねだりに上がってきて、毎度のことながら、キーボードを踏んづけたりペンタブレットの上に座り込んだりする。(私が座っていなくても、机の上で待っていることもある。)
 みゆちゃんの意図に気づかないふりをして、よしよしみゆちゃん、可愛いね、と頭や背中をなでたりすると、はじめは向こうもそれに合わせて、目を細めたりのどを鳴らしたりしているが、そのうちに痺れを切らし、「いや、そうじゃなくて」とおやつの入っている小瓶に顔を擦り付けて、「これよ、これ、なんでわからにゃいの、鈍い人」とアピールをする。以前は知らんぷりしてなでていたら、「ちぇっ」という顔をして諦めて向こうへいってしまったけれど、新しい智恵をつけたらしい。仕方がないから、小瓶の蓋を開けてカリカリを一握り出してあげると(この時点で、どこからともなくふくちゃんも現れる)、美味しそうに軽やかな音を立てておやつを食べ、食べ終わると何の愛想もなく机の上から飛び降りて去ってしまう。みゆちゃんが机の上に来てくれるたびに心に抱く、もしかして私に会いに来てくれたのかな、という微かな思いは、毎回打ち砕かれる。
 でも、時々、おやつが目的ではなく、みゆちゃんが私の机の上に寝に来てくれることがある。そんなとき、ふわふわの白い毛をなでながら、こんなに可愛いいきものがそばにいて、しかも相思相愛だとは、本当に自分は奇蹟的なほど幸せものだと、ありがたく感動してしまう。(ふくちゃんが来てくれてももちろんうれしいけれど、コンパクトなみゆちゃんと違って、大きなふくちゃんが机に寝そべると何も出来ないので、ちょっと困る。)
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冬猫支度2011

今週に入って、急に寒くなりましたね。
みゆちゃん、ふくちゃんにも、暖かく眠れるよう秋冬用猫ベッドを用意しました。
可愛いデザインの市販のものを買ってあげてもいいのですが、
どうせ毎回しばらく使うと飽きてしまうので、
いらなくなったら解体できるよう、段ボールベッドです。
いらないクッションがあったので、段ボール箱の底にクッションを入れて、
フリースの毛布を敷いています。
さっそくふたりで猫団子!
いつまでもつかわかりませんが、今のところ気に入ってくれている様子。
もうちょっと寒くなったら、もうひとつ箱を組み合わせて、
毛布の覆いをかぶせられるようにしようと思っています。
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ふくちゃんの素顔2

 ふくちゃんといえば、おおらかで無邪気で、思慮深くはないけど裏表がなくて、細かいことは気にせず、悪く言えば単純、よく言えば天真爛漫な猫だとずっと思っていたけれど、あるとき、ふくちゃんに対するそういうイメージは、一部修正しなければいけないかもしれないと思った。
 上に述べたような性格は、ふくちゃんが家にやってきた子猫のときのもので、先に住んでいたみゆちゃんが神経質なこともあり、そのときは余計にふくちゃんの大雑把なところが強く印象として感じられた。
 息子の友達が家にやってくると、みゆちゃんはすぐにどこかへ隠れて出てこないが、ふくちゃんは逃げようかどうしようかと戸惑いながら、テーブルの下あたりでうろうろしている。そこへ、子供たちの手に猫じゃらしを持たせて振らせると、もう怖いことは忘れて、ふくちゃんはおもちゃに飛びついてくる。そういう単純なところが可愛らしく、猫ちゃんに会いたいと言って遊びに来た子供たちもふくちゃんと遊べて満足して帰ってくれるので、ふくちゃんが来てくれてよかったなあ、などと話していた。
 が、それも子猫の頃の話である。大人になって物事がわかってきたのか、すっかり怖がりになり、来客があると、押入れの中に隠れてしまって、滅多に出てこない。インターフォンが鳴っただけで、もう動揺して、慌てて押入れの戸をわずかに開けて入っていく。最近ではふたりの行動が逆転して、みゆちゃんのほうが人に慣れたのか、いったん押入れに隠れても、しばらくすると出てくることが多い。さすがに息子の友達の幼稚園児たちには警戒しているが、私の大人の友人たちだと、キャットタワーの最上階のお気に入りの場所でいつのまにか普段どおりに丸くなっていたり、友人の連れてきた赤ちゃんの匂いを嗅いで見たり、リラックスしているようである。一度など、床に丸く並べて敷いた座布団のひとつに自然な感じで香箱を作って(猫特有の前足をお腹の下に入れる座り方)、赤ちゃんを膝に抱いたお母さん友達たちのおしゃべりの輪の中に澄ました顔をして参加していたので、可笑しかった。
 ふくちゃんはもう子猫の頃ほどは、あまり単純ではないのかもしれない。おおらかで裏表がないのはそのままだけれど、前よりもいろいろなことを気にするようになったように思える(たとえば、みゆちゃんにおやつをねだられてあげていると、ふくちゃんは少し離れたところに遠慮がちに座って、私にはくれないの…とちょっといじけたような目をしたり)。今までは、何かと神経質でやきもち妬きなみゆちゃんのほうに気を遣って、ふくちゃんは放っておいても大丈夫、という気持ちがあったけれど、そうもいかなくなって、この頃は、意外と繊細なところがあるかもしれないふくちゃんにも、気を遣うようにしている。
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金木犀と銀木犀

 朝ベランダに出たら、雨の降りそうな低い空に押し込められた重い空気に、金木犀の甘い匂いが充満していた。
 昨日までは気がつかなかったのだが、今朝、いっせいに花開いたのだろうか。それとも、風の強さや向きで、今までは匂いが届いて来なかったのだろうか。
 表に出てもやっぱり金木犀の香りがあふれていて、どうやら家の周り一帯は、花の香りに包まれているようだった。
 どこに木があるのだろうと目で探すと、向かいの公園の木々の中に、割合に大きな、丸いきれいな形の金木犀の木が見つかって、深緑の葉っぱの上に、橙色の小さな花が、星屑を散りばめた小宇宙みたいに咲いていた。それがあたりを匂わせているらしかった。
 家の庭にも金木犀らしい小ぶりの木が幾本か生えている。らしいというのは、葉の感じから見て金木犀だとは思うのだけれど、ここへ引っ越してきた年の秋(去年の秋)には花をつけなかったので、確信を持てずにいたのである。
 その木も咲いているかもしれないと思って、庭へまわってみた。果たして、期待通りに小さな花がほろほろとこぼれるようについていたけれど、花の色はオレンジ色ではなくて、薄い黄色だった。金木犀だと勝手に思っていたが、銀木犀だったらしい。
 引っ越す前の家の庭には、銀木犀の大きな切り株があった。もとは立派な木で、毎年秋には花が咲いて上品な香りを漂わせていたそうだけれど、大きくなりすぎて根っこが裏の家にまで伸びてしまったために、前に住んでいた人が切り倒したのだと、隣の小母さんが教えてくれた。本当にいい匂いがしてね、と小母さんが残念そうに言うので、私もなんとも惜しいような気がして、切り株から伸びている数本のひこばえにいつか花がつかないかしらと期待して待っていたけれど、結局私たちが住んでいるあいだには無理だった。
 銀木犀の香りは金木犀よりも控えめだというので、どんな匂いなのだろうと花のついた枝に顔を寄せてみたけれど、そこに漂っている匂いが、銀木犀のものなのか、それとも公園の大きな金木犀から流れてきたものなのか、よくわからなかった。
 秋を深める短い雨が降って、頼りなげな木犀の花たちが落ちてしまわないかしらと心配したけれど、雨のあがった夜、花の姿は見えないけれど、空気はやっぱり甘い匂いで満たされていたので安心した。


※この文を書いた次の日に、もう一度庭へ出て見たら、うちにある木もやっぱりオレンジ色の花で、銀木犀ではなく金木犀でした。曇り空のせいだったのか、なぜ薄黄色に見えたのか不思議です…
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