カニの季節の猫おやじ

 カニカマに目がないちゃめだけれど、やっぱり本物のカニはたまらないらしい。
 そんな可愛いちゃめのために、父は、自分ではカニは食べないくせに、慣れない手つきで、せっせと身を取り出してやっている。
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タマ登場

 実家の外猫が一匹増えた。キジのぶち模様の若いオス。今年の春くらいからときどき外猫用の餌を食べに来るようになって、最初のうちは、ポチやちゃぷりにケンカを吹っかけながら食べていたから、こちらも距離を置いた付き合いをしていたのだけれど、そのうち、猫同士互いに敵視し合うようなことはなくなってきて、いつのまにか、家の庭に居ついてしまった。
 それで、家の猫になったからには名前をつけなければいけないということになって、ついた名前が「タマ」である。ポチとタマ。もっとも、ポチは猫だけど。
 タマは、頭がいいのか、世渡りが上手なのか、すぐに馴れた。ご飯をもらうからには、愛想良くしておかなければ、と思っているのかどうか、家に居つくようになってすぐに、なでるとごろんと横になってお腹を出すし、無理やり抱っこしても決して爪など立てないし、ノミ取りまでさせる。先住のポチさんのご機嫌も取っておかなくちゃとばかり、ポチの体に頭をすりつけに行くのだけれど、迷惑顔のポチは、猫パンチでそれに応じた。
 ポチとはそんなふうにうまくやっているのだけれど、ちゃぷりのことはやっぱり追い掛け回す。おかげで、ちゃぷりは終日納屋にこもりっぱなし。もともと孤独が好きな猫だから、あんまり苦にはしていないのかもしれないけれど。
 ともあれ、人懐っこいタマは可愛いので、実家で人気が上昇中。タマを撫でていると、それ以上に人懐っこいポチが必ず隣にやって来て、黙って座り込んで待っているので、両手を伸ばして、タマとポチを同時に撫でてやらなくてはならない。
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2008年卓上猫カレンダーBタイプ(2月)

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2008年卓上猫カレンダーAタイプ(2月)

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2008年卓上猫カレンダーBタイプ(1月)

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2008年卓上猫カレンダーAタイプ(1月)

 2008年の卓上カレンダーを作りました。CDのケースに入れられる大きさです。
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ミケを探して

 どんぐりが枝から落ちて、石畳の上に当たり、こーんと軽快な音を立てて跳ね返った。植物園には立派な樫の木がたくさんあって、どんぐりがたくさん落ちている。ときどき、枝を離れたどんぐりが、ぱらぱらと葉を叩きながら、頭の上から落ちてくる。
 ミケを探しに来た。このあいだ来たときは、日曜で人が多かったせいか、ミケは姿を現さなかった。もっとも、まだ植物園にいるという確証もないけれど、もしまだいるなら、お腹を空かしているだろうと思って、探しに来た。
 この前ミケを見た場所に向う途中で、別の猫にあった。さび色の小さな猫で、細い体に、とても小さな頭がついていた。呼んだら、人懐っこくにゃあにゃあと鳴いてやって来て、お昼のサンドイッチが入った紙袋の中に頭を突っ込んだ。このサビもお腹がすいているようだった。背中をなでたら、毛並みはきれいだけれど、背骨がこつこつと手のひらに当たった。ミケのために持ってきたキャットフードを袋から一掴み出したら、あっというまに平らげて、もっとほしいと膝に前足をかけて伸び上がった。もう一掴みあげてもまだ足らず、さらにもう一掴み分を食べて、ようやく落ち着いたようだった。
 次に、ミケのいそうな場所へいったけれど、ミケの姿は見当たらなかった。前に来たときにお皿に入れておいたキャットフードはすっかりなくなっていたので、やっぱり近くにいて食べに来たのかもしれないと思って、また足しておいた。
 それで帰ろうと思って、北門の出口の方へ戻りかけたら、おばさんにお弁当を分けてもらっているミケを見つけた。猫なのに白いご飯なんかを食べていたから、相変わらずお腹が空いているのだろう。しかしいまだあまり人には馴れていなくて、近寄ったら、花壇の中の背の高いカンナの花の下に隠れてしまって、呼んだら返事はするけど出てこなかった。キャットフードを置いてきたところから遠くないから、きっと気づいて食べてくれるだろうけれど、ミケと仲良くなろうと思ったら、もっと足繁く通わなければならなさそうである。
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おでんの鍋

 大きな鍋を持っていなくて、たとえばおでんだと、卵がひとり一つずつ、大根がこれくらい、じゃがいもがこれくらいずつと人数分を入れていくと、最後に練り物を入れる頃にはもう鍋がいっぱいになってしまっていて、今さら二つの鍋に分けるのも面倒だし出汁も薄まるし、結局、どうにも入らなさそうなところに練り物を無理やり押し込んだり、それも無理なときには、練り物だけ二段階で入れることになる。またハンバーグ入りのホワイトシチューを作ったら、具が多すぎて鍋の中でぎゅうぎゅうになってしまい、混ぜるのに必要な空間がなくなって、せっかく作ったハンバーグが、シチューの中でばらばらになってしまった。
 そんな話をしたら、私の台所事情を聞くに聞きかねた母が、このあいだ一緒にショッピングセンターへ行ったときに、大きな鍋を買ってくれた。
 ステンレス製の頑丈な鍋で、これならもうおでんを作るときにも、こんにゃくが一人当たりいくつまでと、ぎりぎり限界の許容量を頭をひねって見積もらなくても、どんどん放り込めばいい。実際、ぴかぴかのあたらしい鍋の中で、いっぱいに入ったおでんがぐつぐついっているのを見るのは、なんだか心楽しい。
 鍋を買ってもらったその日にさっそくおでんを作って、しっかり味がしみこんだ次の日、おでんを実家に持って行った。
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ヨウシュヤマゴボウの思い出

 砂遊び用の大きなダンプトラックの荷台に、どこかから採ってきたヨウシュヤマゴボウの実と水道水を入れて、ひしゃくの先っぽが取れて柄だけになった棒でかき回し色水を作っていた。ずっと立ったままうつむいて作業をしていたから、鼻水が、ぽとんとヤマゴボウの色水の中に落ちてしまった。あわててかき混ぜたら、一滴の鼻水は、紫色の水の中に混じってわからなくなり、私は罪悪感を感じながらも、ほっとした。
 小学1年の夏休み、母の田舎に遊びに行っていたときの話である。母の実家の隣には、小学校6年生の女の子が住んでいて、よくその子に遊んでもらった。1年生から見ると6年生というのはものすごく「大人」だから、彼女のことを尊敬してちょこまかと付き従っていた。
 その彼女が、たぶん、色水を作ろうと提案し、私に作業を任せてどこかへ行ってしまったのだろうと思う。どこかの家の裏庭で、夏の午後、白けたようになっていて、周りには誰もいなかった。さらに鼻水が、数滴落ちて、紫色の水面に二つ、三つ花火のようになって、あわててかき回すと、また消えていった。
 お姉ちゃんがいつまでたっても帰ってこないので、何となく不安になって、狭い路地に出てみたけれど、迷路みたいな道には人の気配はなかった。
 それからあとは、よく覚えていない。おそらくしばらくして、お姉ちゃんが戻ってきて、出来上がった鼻水入りの色水を使って、何かの遊びをしたのかもしれない。おままごとようのコップに注ぎ分けて、私は鼻水のことばかりが気になって、後ろめたい気持ちでもじもじしていたような気もする。肝心の遊びの部分は、全然覚えていないのだけれど、ただ、鼻をたらしながら、一生懸命色水を作っていたことばかりが、なぜか鮮明に、記憶に残っている。
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イヌホウズキ

 去年までは、初夏の庭にいつのまにか膝の高さほどに生えたヨウシュヤマゴボウが、夏にはあっという間に庭木の高さほどにまで成長して、秋には枯れ、やってきた母が、小さいうちに抜いておけば、こんなにごみにならなくて済むのにと言いながら片付けていたのだけれど、今年はもう根っこがなくなったのか、ヤマゴボウは生えてこなくて、代わりに、その近くから腰の高さほどの別の草が生えてきて、白い、可愛い小さな花をつけた。
 5つ、6つほどの花が一箇所に固まって咲いて、五枚の花びらが星の形に広がっているから、ナス科の植物なのだろうと思った。茎の先端から、次々に咲いていって、茎の根元の方の、花が枯れたあとには、小さな丸い緑色の実が、房みたいに生った。白い花は、午前中、可愛く精一杯に開いて、日が陰る午後には、花弁を閉じた。
 何の花なのか、わからないでいたのだけれど、ある日、実家に行ったときに、本棚の中から、「野に咲く花」という野草の図鑑を見つけた。科ごとに分類がしてあったので、ナス科のページを開いたら、庭の白い花の写真が「イヌホウズキ」という名前でそこに載っていた。別名は「ばかなす」で、茄子やほうずきとちがってちっとも役に立たないから、そんなふうな名前がついているらしかった。毒があるとも書いてあったけど、大量に食べなければ、なんともないようだった。
 図鑑の表紙をめくったら、そこに母の字で、父と私と弟が平成三年の誕生日に母に贈った、ということが書いてあった。そういえばそんなことがあったと思い出した。少し高めの本だったから、私と弟で、小遣いに見合った割合を出し合い、足りない分を父が補ったのだった。母がそうやって書き留めてくれていたのを見て、うれしかった。
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