「どすこい!」「どすこい!」「どすこい!」
草ぼうぼうで荒れ果てていたけど
「相撲神社」を参拝する
奈良県桜井市の「穴師」の地に鎮座する「相撲神社」…
相撲神社は、この神社からさらに奥の森の中に鎮座する「穴師坐兵主神社」の境内社
日本書紀によると、垂仁天皇の時代に、国内で初めて「当麻蹴速」と「野見宿禰」による天覧相撲が行われたらしいのよ…
その場所は「カタヤケシ」と記されていて…その地がこの場所らしいのよ…
そんな「カタヤケシ由緒」の案内解説板
「穴師」は、相撲発祥の地…らしいんだな
鳥居の右側には
この取り組みで勝利した「野見宿禰」の名前の歴史を感じる石碑が…
鳥居をくぐると…
力士…おそらく「野見宿禰」…お相撲さんの像が…
「どすこい!!」
接近すれば、全身が緑っぽく変色しつつありますな…苔(こけ)で覆われつつあるのでしょうか…
でも、天覧相撲では「野見宿禰」は「苔(こけ)ません」…もとい…こけませんでした…
ついでに、誰もいないと…やっちゃいますなあ…
私も「どすこい!!」…
このブログのネーミングも「(新・日記)どす・こい!」
さてさて、境内には誰一人いないのは当然のこと…もう草ぼうぼうで…自然に還りそうな様相でした…
中央のブルーシートに覆われたもの…
これ、噂によると、土俵らしい…
「どひょー!!」(驚いて、発した言葉…笑)
境内には優勝記念碑が
関取の徳勝龍の幕内優勝記念碑
幕尻西前頭17枚目で幕内優勝!!
奈良県の力士では98年ぶりの快挙だったらしいよ…このときは、「野見宿禰」もさぞ、喜んでいたことでしょう…
今では荒れ果てたこの境内に、新しめの…ほんの2年前のピカピカの立派な石碑が、この場になじめない感じで建立されていました…
そばには、さほど新しさを感じない…この場に溶け込んでいる感のする境内にあった柿本人麻呂の万葉歌碑…
「巻向の 桧原も未だ 雲いねば 小松が末ゆ淡雪」
柿本人麻呂もこの地で「当麻蹴速」と「野見宿禰」による天覧相撲をみていたのでしょうか…妄想が膨らむ…
いや、ひょっとしたら、この地で暮らしていたのかも…
ここに「住もう(相撲)」
はい、しょーもないオヤジギャグは忘れてもらって
境内の奥の方に、本殿が鎮座…思いの外小さめ…まあ、確かに…ここは「穴師坐兵主神社」の境内社ですので
左右の狛犬
負けた「当麻蹴速」は「野見宿禰」には「かなワン」と思っていたことでしょう…こま犬だけに…
もちろん、ご祭神は、歴史上、はじめて相撲をとり、勝利をおさめた「野見宿禰」
本殿の廻りには
「勝利之聖 野見宿禰」というオブジェ…
国技発祥の地の説明板
昭和37年には、この坐兵主神社(相撲神社は境内社)に当時の日本相撲協会の時津風理事長(元横綱双葉山)、二横綱(大鵬・柏戸)、五大関(琴ヶ浜・北葉山・栃ノ海・佐田ノ山・栃光)など、幕内全力士が参列したそうな
歴史を感じる石碑
そして、殉国碑
などなど…荒れた境内に…点在してまして
でも、一番目に留まるのが
B級スポットにありがちな顔ハメパネル…
誰もいないとなれば、ハメますがな…
「勝負運向上だー!どすこい!」
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