新型コロナウイルス感染症が蔓延して
緊急事態宣言やマンボーが発出されるたびに…太ってきて…マンボーならぬ…シボー(脂肪)がお腹廻りに蔓延してきて…
お腹廻りの緊急事態宣言は、ずっと解除されないまま…
もちろん、ウォーキングとかで、ささやかな抵抗はしてるけど…
やはり、手っ取り早いのが神頼み!!
新型コロナウイルス感染症撲滅を願って…いや、ほんとにしつこいよね…いろいろ変異して…
でも、しつこさと言えば、私のお腹廻りの無駄なぜい肉もしつこいのよ…
お腹廻りの緊急事態宣言の解除を願って
今回参拝したのが
高座結御子神社
延喜式内社で
熱田神宮境外摂社
創建は不詳…
伝承では熱田神宮本宮と同時期という説も…
織田信長や蜂須賀家政らから補修を受け伽藍を留めてきたものの…第二次大戦の戦災で焼失、1963年に原型の尾張造を再現し再建されたものだという
尾張氏の祖・高倉下命(タカクラジノミコト)さまを祀り、子育ての守り神として崇められている神社…
この地の産土神様で「高座さま」と呼ばれているらしい
あれれれ、私の願いとはちょいと違うような気もするけど…私の願いのドストライクの神様とは違う気もするけど
「虫封じ」…新型コロナウイルスなんて、虫のよーなものじゃないか!!…ムシ(無視)できるくらい封じ込めてくれることを願って
さっそく手水舎で…手を浄めようと…
いや、ここまで来る途中に新型コロナウイルスオミクロン株が私の手にへばりついているかもしれない…
ここは念入りに手を洗おうと思ったけど…
水量がちょいと少なすぎるので
ここは持参した手指消毒液でシュッシュ!!
これで、きっと高倉下命(タカクラジノミコト)さまも安心に思われていることでしょう!!
ではでは、早速,
この広い境内の正面
左右に回廊が設けられた尾張造りの拝殿にて
二礼二拍手一礼
新型コロナウイルス感染症を虫のように…
私のお腹も虫がいるかのようにぐぅーぐぅーなって、やたら空腹感を訴えるので、その虫も封じてくださいな…
あ、私のお腹廻りの贅肉も、神様「むし(無視)しないでね!!」
さてさて、その後は名古屋の熱田のど真ん中とは思えないほど静かな境内をぐるっと見て廻ることに…
境内社である
鉾取社
鉾取神が祀られています
素盞嗚尊を祀る新宮社
赤い鳥居の入り口は2カ所…
こちらは拝殿の左側から
高座稲荷社
赤い参道は、途中から大きく左側に
そこにハトが一羽
私の前をずっと歩いているのよ…
ハトも願い事があったのでしょうか…
確かに新型コロナウイルス感染症が蔓延してから、人と会ったりしてはいけないみたいに自粛、自粛と、なにかとガマンを強いられているものだから、なんか世の中荒んできているような…そんな中、アベノマスクにかけた多大な税金など国の愚策もたくさんで…ハット驚くことばかりだもんな…
ハトでも神頼みしたくなるのかもしれないなあ…ハートの暖かい人々で満たされた世の中になるといいなあ…とハトをみて、鳥あえず…もとい…とりあえず思ったりして
下の写真は、もう一つの赤い鳥居の入り口…
さて、この高座稲荷社
ご祭神は宇迦之御魂神さま
秀吉の母が秀吉の立身出世を祈願し秀吉と共に参拝したと伝わり、商売繁盛と立身出世のお稲荷様と崇められ「太閤出世稲荷」とも呼ばれているようで
この拝殿の奥が本殿となってまして
その奥の本殿の左右にはキツネ様の姿が確認できました
参拝を終え、赤い鳥居を引き返すと、めちゃハトが集まっていました…
ちなみに鳥の鳴き声はところどころ聞こえていて
境内には、こんなにたくさんの野鳥がいるようですが…私はハトしかみつけれませんでした…
尾張浜主の歌碑
「浜主は熱田宮の伶人で、845年5月8日仁明天皇の御前で113歳の老齢を以て自作の和風長寿楽を見事に舞い、大極殿に居並ぶ人々を驚嘆させた当代に於ける舞楽の大家であった」とのこと
この歌碑には
「翁とて侘やは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」
と刻まれていて…
まあ、おじいちゃんでも元気いっぱいだったようで
私も浜主のように元気なじじいになりたいものだ…
まあ、なにも113歳までいきなくても…そこそこ生きて元気ポックリ…がいいんですけどね…
注連縄が張られた大楠は御神木
向かって拝殿の右側の奥にも、もう1本、御神木が
触れると御神木のもつパワーが注入されるような木がする…もとい…気がする私…
境内社である
御井神を祀る御井社
このような言い伝えがあって
幼児に井戸をのぞかせると「虫封じ」になるとか…
私、幼児じゃないけど…むしろ、「よう、じじぃ!」の方がウンと近い年齢だけど…新型コロナウイルスという「ムシ」を封じてもらうことを願って…私のお腹廻りもムシしないでと願って
覗きます!覗きます!!
あ、神様はこの井戸の奥底にいるのではなくて…
こちらの祠に…
二礼二拍手一礼
さてさて、この高座結御子神社の境内は
貝塚だったようで…
その案内看板も
貝塚は弥生時代後期のものらしい…
さらには、この神社の廻りには
コーフンしてくる古墳(コフン)も
と言うことは、この神社は古墳や貝塚の上に建てられたという訳で…
ちなみに、ここに来るときに通って来た旗屋小学校も遺跡の上に造られたようで
夜寒里碑と一緒の場所に案内看板がありました
高蔵遺跡は東西約500メートル・南北約700メートルにおよぶ大規模なもので、弥生時代の遺跡、貝塚がみつかったり…古墳時代は断夫山古墳・白鳥古墳などの首長墓の造営に直接関与した集団の遺跡のようだとか…
今は高蔵公園として整備されていて
この右側に高蔵5号墳と環濠の案内看板があるから…
このあたりが高蔵5号墳か???
いやー、コフンだけにコーフンするねえ??
高蔵8号墳、円墳だったらしい
この石は古墳との境界線か???
これは、古墳時代の出土品ではないと思われる…
もちろん、こちらも
高蔵7号墳
これも円墳だったようで
ちょいと墳丘が盛り上がっていて、コフンといわれれば、確かに古墳のよーに思えてくる!!
いやーコーフンするねえ???
高蔵古墳群と高蔵1号墳の案内看板
よくわかんないけど、この辺にあったのでしょう!!
いやー、コーフンし過ぎてなんだか、クラクラしてきた…???
高蔵(たかくら)だけにね…
と会心のオヤジギャグを放り込んで
本当にコーフンしてたかどうかは置いといて
コフンはいいね…
クレイジーケンバンドも「タイガー&ドラゴン」で
♪俺の俺の俺の話を聞け コフンだけでもいい 貸した金の事など どうでもいいから~
と歌ってますしね???
私の古墳の話をきいていただきありがとうございました…
え??クレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」
「コフン」じゃなくて「ゴフン」だって???
それはそれは「ゴメン!ゴメン!!」
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