最近また、お父さんの夢をよく見るようになった。
先日は夢の中でも死んでしまった父にスーパーマーケットで再会する夢を見たし、さっきは実家で、わたしが寝る部屋で寝ていると夜中遅くに起きてテレビを見ていた父が、トイレに行くためダイニングキッチンルームを歩いて行く後ろ姿をわたしは寝ながら見ていた。
その後ろ姿が、背を丸めてちょっとおどおどした感じに、歩いてて、深く悲しみを感じた。
目が覚めて、夢の中で父が着ていた黒っぽい赤の複雑な模様のシャツを、そういや気に入ってよく家の中で着ていたなあと想いだした。
高級そうな生地だったがよく着ていたからよれよれな感じになっていた。
たぶん、誰かのプレゼントで、外に着ていくには派手だから家の中で着ていたんやろな。
それでその歩いて行く後ろ姿が、何処と無くアル・パチーノっぽかったなと想った。
先日、アル・パチーノとジョニー・デップの映画「フェイク」を観たのだけれども、アル・パチーノ演じるレフティが、ジョニー・デップ演じるドニーの脇腹らへんをカチンときた際にこつくシーンが序盤にあって、そのこつき方が、わたしが父をカチンとさせて父を怒らせた時のこつき方とそっくりだと感じた。
あの時は、わたしは食事中に左にいる父が嘘を演じているのだと父に怒られていた姉をかばうためについ口走ってしまい、父を怒らせたのだが、あの父の怒りも、あの映画でレフティがドニーに怒った自分のプライドを傷つけられたという理由と同じだったはずだ。
なんかその感じが、すごくあの時の父とそっくりだと想った。
最近、アル・パチーノが好きになった。
アル・パチーノが出ていた映画は父と子供の頃によく観ていたと想うが、憶えていない。
まだ「スカーフェイス」と「フェイク」しか観ていないが、両方とも不器用だけどプライドは高く、素直で子供のようなところがあり、短気で人情味があるところなんかうちの父の性格とよく似ている気がした。
うちの父は下品なことが嫌いでかなり上品な人だったが、その一方でわたしに「あんな、人間はみんな変態やねんで」などと教える変わった人だった。
わたしは父だけは変態であってほしくなかったので、その言葉はどうしても受け入れたくなかった。
見た目は頬がこけた上品なマフィアのボスといった容貌だった。
そんな強面の父が白のクラウンに乗っていたから喧嘩を売られることがなかった。
威厳があって本当に格好良かった。
父は痩せていたけど、外に行くときにいつも掛けていた薄い茶色が入った眼鏡を掛けるとマフィアのボスにしか見えなかった。
そう言えば、アル・パチーノの目は優しくもありどこかギロついている。あの目が、父に似ているからかもしれない。
わたしがアル・パチーノに惹かれているのは。
アル・パチーノは父も好きだった俳優だ。
「ゴッドファーザー」も父と一緒に観たはずなんだが想いだせない。
父はお酒も煙草も博打も女も、手を出さず、仕事が終われば真っ先にうちに帰ってくる人だったが、わたしと兄を一人で育てながら、どのような想いで生きていたのだろう。
わたしが子供の頃に兄の眠っている顔の上を跨いだだけで、「女が男の顔の上を跨ぐとは何事か」とものすごく怒るような人だった。
母の若いときの男を誘うかのような表情の化粧の濃い写真を観ると「この写真は気に入らん」と言っていた。
成長するわたしに、父は亡き妻の面影を観ていたのだろうか。
わたしの母が死んだとき、父はまだ四十四歳だった。
実家で、今も猫たちと暮らす音信不通の兄は先日、四十三歳になった。母が乳癌の末期であるとわかった翌年で、死ぬ前年の年だ。
兄はどうしているのだろう。何もわからない。
わたしが家族を想うとき、いつも言い知れぬ悲しみに襲われる。
この悲しみは、一体どうすれば、どんな小説を書けば昇華できるというのか。
今年の一月にも、言い争いの末に到頭、姉からまたもや言われてしまった。
今でもお父さんはおまえのせいで死んだと想っている。と。
姉とも、もう当分仲直りができないだろう。
これでわたしは家族の誰とも、話をしない人間になった。
わたしが姉との仲を取り戻すために問い質しても、何も答えてくれない。
悲しい人間を探せば、この世界はきりがないが、わたしは死ぬまでどん底に生きるだろう。
其処は、精神の底と言えるのではないか。
わたしは精神の底に、辿り着いて死にたい。
先日は夢の中でも死んでしまった父にスーパーマーケットで再会する夢を見たし、さっきは実家で、わたしが寝る部屋で寝ていると夜中遅くに起きてテレビを見ていた父が、トイレに行くためダイニングキッチンルームを歩いて行く後ろ姿をわたしは寝ながら見ていた。
その後ろ姿が、背を丸めてちょっとおどおどした感じに、歩いてて、深く悲しみを感じた。
目が覚めて、夢の中で父が着ていた黒っぽい赤の複雑な模様のシャツを、そういや気に入ってよく家の中で着ていたなあと想いだした。
高級そうな生地だったがよく着ていたからよれよれな感じになっていた。
たぶん、誰かのプレゼントで、外に着ていくには派手だから家の中で着ていたんやろな。
それでその歩いて行く後ろ姿が、何処と無くアル・パチーノっぽかったなと想った。
先日、アル・パチーノとジョニー・デップの映画「フェイク」を観たのだけれども、アル・パチーノ演じるレフティが、ジョニー・デップ演じるドニーの脇腹らへんをカチンときた際にこつくシーンが序盤にあって、そのこつき方が、わたしが父をカチンとさせて父を怒らせた時のこつき方とそっくりだと感じた。
あの時は、わたしは食事中に左にいる父が嘘を演じているのだと父に怒られていた姉をかばうためについ口走ってしまい、父を怒らせたのだが、あの父の怒りも、あの映画でレフティがドニーに怒った自分のプライドを傷つけられたという理由と同じだったはずだ。
なんかその感じが、すごくあの時の父とそっくりだと想った。
最近、アル・パチーノが好きになった。
アル・パチーノが出ていた映画は父と子供の頃によく観ていたと想うが、憶えていない。
まだ「スカーフェイス」と「フェイク」しか観ていないが、両方とも不器用だけどプライドは高く、素直で子供のようなところがあり、短気で人情味があるところなんかうちの父の性格とよく似ている気がした。
うちの父は下品なことが嫌いでかなり上品な人だったが、その一方でわたしに「あんな、人間はみんな変態やねんで」などと教える変わった人だった。
わたしは父だけは変態であってほしくなかったので、その言葉はどうしても受け入れたくなかった。
見た目は頬がこけた上品なマフィアのボスといった容貌だった。
そんな強面の父が白のクラウンに乗っていたから喧嘩を売られることがなかった。
威厳があって本当に格好良かった。
父は痩せていたけど、外に行くときにいつも掛けていた薄い茶色が入った眼鏡を掛けるとマフィアのボスにしか見えなかった。
そう言えば、アル・パチーノの目は優しくもありどこかギロついている。あの目が、父に似ているからかもしれない。
わたしがアル・パチーノに惹かれているのは。
アル・パチーノは父も好きだった俳優だ。
「ゴッドファーザー」も父と一緒に観たはずなんだが想いだせない。
父はお酒も煙草も博打も女も、手を出さず、仕事が終われば真っ先にうちに帰ってくる人だったが、わたしと兄を一人で育てながら、どのような想いで生きていたのだろう。
わたしが子供の頃に兄の眠っている顔の上を跨いだだけで、「女が男の顔の上を跨ぐとは何事か」とものすごく怒るような人だった。
母の若いときの男を誘うかのような表情の化粧の濃い写真を観ると「この写真は気に入らん」と言っていた。
成長するわたしに、父は亡き妻の面影を観ていたのだろうか。
わたしの母が死んだとき、父はまだ四十四歳だった。
実家で、今も猫たちと暮らす音信不通の兄は先日、四十三歳になった。母が乳癌の末期であるとわかった翌年で、死ぬ前年の年だ。
兄はどうしているのだろう。何もわからない。
わたしが家族を想うとき、いつも言い知れぬ悲しみに襲われる。
この悲しみは、一体どうすれば、どんな小説を書けば昇華できるというのか。
今年の一月にも、言い争いの末に到頭、姉からまたもや言われてしまった。
今でもお父さんはおまえのせいで死んだと想っている。と。
姉とも、もう当分仲直りができないだろう。
これでわたしは家族の誰とも、話をしない人間になった。
わたしが姉との仲を取り戻すために問い質しても、何も答えてくれない。
悲しい人間を探せば、この世界はきりがないが、わたしは死ぬまでどん底に生きるだろう。
其処は、精神の底と言えるのではないか。
わたしは精神の底に、辿り着いて死にたい。