あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

虚の光

2018-03-29 21:53:10 | 存念

此の世で変わっている(極少数派)人間が、遣りたいことだけを遣り続けて生きるのは、人一倍孤独になることなんだと生きる程、想い知らされています。

朝に起きて、夜に寝るまで、誰一人とも会話をしない日々、そんな日が一ヶ月に約8割程になりました。

あまりの孤独の苦痛さに、鬱症状も改善が見られませんが、それでも、命を懸けてでも、遣り通したいことがあります。

それは死ぬ迄、「Vegan(完全菜食者)」でいたいという生き方です。

自分にとって、日に日に、動物の存在が自分に近づいて来ているように感じるのです。

わたしが今まで食べる為に間接的にも殺し続けてきた存在が、”自分自身”であったのだと日に日に感じるようになって来て、自分自身の存在は”彼ら”であった。

つまり、家畜たち(彼ら)の成れの果てと同じく、”死体”以外の何者でもなかったのだと感じて、かつての自分を想っては居た堪れない日々に在り、この世界に、せめて企業や組織(団体)による虐殺、殺害(動物も含む)がなくならない以上、本当の幸せを感じることなどできないんだと想っています。

でもこれは、人類の全員がそうであるのだと想っています。

どんなに美しい笑顔で笑うことのできる純粋な人たちも、いつか必ず気付かされる日が来るのだと想います。

「何故、自分は、”自分自身”を残虐に虐殺し続けて食べてきたのか”」ということに。

気付いた直後の後悔する想いは、本当にのた打ち回るほどの後悔の苦しみでした。

今になって想えば、美味しい肉や魚や生クリームたっぷりのケーキや、ふわふわの卵焼きや、動物性のものを食べることは、何一つ、生きることの些細な喜びにすらなく、”監獄と虐待と拷問と断末魔の地獄の苦痛”の連鎖になるものでしかありませんでした。

自分で食べてきた動物性のものすべてが、”監獄”と”虐待”と”拷問”と”断末魔の地獄の苦痛”であったのです。

もし、離れて暮らす大事な愛する家族があなたに居て、「あなたが食べてきた肉はすべて、実はあなたの大切な遠くに住んでいた家族の”死体”です」と言われたら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか?

わたしがと殺(屠畜)の映像を2012年に初めて観たとき、全くそのような感覚になりました。

自分が「美味しい」と微笑みながら食べてきた肉は、わたしの愛する家族の死体であったのです。

これが、目を背けたくもなるこの世界の”現実”です。

この世界に生きる全ての人が、わたしの感じた感覚と寸分違わぬ感覚に、打ちひしがれて底のないような悲しみと向き合わねばならない日が必ずやって来るのだと想っています。

その日が訪れるのは、来世かもしれませんし、来来世かもしれませんが、どうか待ち侘びてください。

誰にも必ず訪れる”祝祭の日”です。

あなたが自分の愛する家族を、もう苦しめ殺して食べなくとも生きてゆけるようになった祝福の日です。

わたしは、はっきりと解ります。

愛する家族(動物性のもの)を食べていた自分が見た光のすべては、虚無の闇に打ち勝つこともできぬ”虚(うろ)の光”であったのだと。

 

あなたは、「あなたの”助け”を必要としています。」

 

 

 

 

 

 

 

http://www.arcj.org/tokyoolympiccruelty/JP/

 

 

 

 

 

 

 

 



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