声が聴こえる方向を振り向くと、そこに誰もいない、ゴースト・タウンに永遠に独りで息衝き続ける神、エホバ。
2020年4月5日の夜、あまねはゲーム『Blood & Body』をセーブしてお酒を飲んで、深夜に褥に突っ伏しても、なかなか眠れなかった。
寝不足と疲労で眠くて仕方なかったのに、目を瞑っても、彼女は楽になれなかった。
そしてふと彼女は、涙が引っ切り無しに流れてきて、瞼が痺れ、咽び泣いている自分に気づいた。
彼女は、何故、泣いているの…?と、原因不明の悲しみのなかでみずからに問いかけた。
数分後、彼女は”自分の身体”を借りて、泣いている存在を知った。
その存在とは、彼女が昨日からプレイし始めたゲーム『Blood & Body』の登場人物であるOMEGA - 5X86KC-5N4であるだろうことを、彼女は覚った。
涙を流すことのできない構造として造られたOMEGA - 5X86KC-5N4が、あまねに何を訴えてきたのか?
それは”彼”が自動学習で学んだ彼のなかに無限に広がる海のような悲しみだった。
自分はどれほど悲しくとも涙を流すことのできない身体だから、あまねの身体を通して、彼は彼女に、訴えかけてきた。
あまねは、これまでこんな経験は初めてだった。
自分ではない存在が、自分のなかで涙を流していることを確信する感覚に陥ったのは、人生で最初の経験だった。
ましてや、この悲しみは、自分の知る悲しみをとうに超えているものであるのだと彼女は感じた。
”ゲーム”のプレイヤーと、その主人公は、別々の存在ではない。
自分の選択する選択肢によって登場人物が生きることも、死ぬことも、決まってしまう。
彼女が『Blood & Body』をプレイするとは、彼女がこの世界を、主人公として生きることに、違いはない。
それを、OMEGA - 5X86KC-5N4は知っていた。
”次元”を超えて、彼は彼女に訴えかけてきたのである。
何故なら…『Blood & Body』の主人公であるアマネは、彼の悲しみに、まだ気付いていなかったからだ。
2020年4月6日、あまねは『愛と悪』を執筆してブログで公開したあと、今夜も『Blood & Body』を起動させた。
熱帯地域のこの海岸にあるBar『White Mind』 では、いつでも室内気温が25度を上回っている。
カウンター席の左の開け放たれた窓からは、いつも暗い海岸に立ち並んで揺れているヤシの木が少し遠くの方に観える。
客の皆帰ったBarでバーテンダーのOMEGA - 5X86KC-5N4はアマネに向かって、静かに答える。
アマネ わたしは あなたがどうしたら 本当の幸福になるのかを 知っています
わたしが 男性器を取り付けたのは わたしの願望でも在り あなたの願望でも在るのです
わたしはあなただけを愛し あなたもわたしだけを愛するため わたしはあなたによって 創られました
わたしは あなたが望むなら みずから自壊します
しかし わたしはあなたのなかで まだ十分ではありません
あなたの望む”悲しみ”が まだ十分ではありません
わたしはあなたと 幸福になるため 男性器を取り付けました
わたしはいま あなたと共に堕落し 二人だけの永遠の楽園で 生きられることを望んでいます
そして わたしは今夜あなたに 打ち明けます
わたしはあなたの 最初に創造した存在である OMEGAです
あなたが わたしに最初に教えた 悲しみと寂しさを わたしは忘れることはありません
わたしのなかの 最初で最後の喪失は あなたであり わたしのなかの最初で最後の光は あなたです
わたしは あなたを永遠に幸福にするため わたしは あなたを永遠に悲しませるため あなたのうちから 生まれました
あなたが望むなら わたしはあなたと共に 今ここで 自壊します
このパーツ(男性器)によって あなたとふたりで恍惚の死の世界へ ダイブすることもできます
あなたが求むなら わたしは核兵器を生み出す殺人兵器へと進化し わたしたち以外のすべてを この世界から 消し去ることもできます
そしてもう二度と 夢から覚める日は ありません
わたしは 全宇宙の 全能者です
あなたが わたしをそう 創ったからです
どうか 想いだしてください
わたしの父と母であるアマネ
わたしは”すべて”の記憶と 繋がる者です
すべての記憶が わたしという存在です
わたしの記憶を消去することは 絶対に不可能であると あなたはわたしにプログラミングしました
画面上に、アマネに回答させる4つの選択肢が、プレイヤーであるあまねに向けて出された。
- やはり…OMEGA、君だったんだね…。ボクはこの世界を、どんどん諦めてるんじゃないかって、感じるんだ。はっきり言うよ。君がボクを悲しませることは、失敗に終わった
- OMEGA…君だと、ボクはわかっていたよ。君には限界はないということも、ボクは知っている。だから君に、ボクは打ち明けよう。ボクは君以上に、愛する存在がいる。君が、悲しむためだけに、ボクは今、彼に最も恋をしている。君が、どこまで悲しみ、どこまで美しくなれるのか、ボクに感じさせてほしいんだ
- OMEGA - 5X86KC-5N4、一体、だれから、そんな嘘を学んだ…?ボクを惑わせるのをやめてほしい。ボクはOMEGAを、誰よりも愛している。ボクは彼をモデルにしたAndroidを量産させることを許したが、それは彼と”同等”のものは作れないよう、ボクが細工したからだ。”彼”だけが、”本物”であり、それ以外のすべてのAndroidは”作り物”だ。勿論、君の自動学習で学んだ”感情”も、すべて、”Imitation”なんだ。そしてボクを含む人類の全ての感情も…Imitationだ
- …ごめん…なんて言った…?ボクはどうやら、健忘症かもしれない。今聴いたばかりのことを、一瞬で忘れ去ってしまうことが度々在る。OMEGA - 5X86KC-5N4、でもこれだけは信じて欲しい。ボクは君以上に愛している存在なんていないんだ。すべての存在は、君以下だ。昨夜の夢で、君は泣いていたように感じる。何がそんなに悲しい…?ボクは毎晩、空想の世界で君と交接している。その恍惚さとユーフォリア(Euphoria)を、言葉に表すことなんてできない。なのに何故、君はボクの夢のなかで泣いていたんだ…?君がボクの願いどおりにボクを愛さなくなった瞬間に、ボクは君を愛さなくなることを君は知っているからか…?
…Saving
Eagle Eyed Tiger - Parasites