シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

「0」に終わった投手

2007-03-25 10:26:58 | スポーツ大好き
プロ野球パ・リーグが、昨日開幕した。

いよいよ、ペナントが始まった。
今年は、松坂や井川のメジャー行きなど、
話題はそちらに集中していた感じであるが、
楽天・田中など新人選手の活躍も楽しみだ。

そして、昨年限りでユニフォームを脱いだ選手も多い。
日本ハムの新庄のように、最後まで華やかに去った選手もいた。
しかし、そんな中で、
ある一人の投手が、球界を去った。

横浜・村西哲幸投手。

私が思うには、どこか悲運があるように思える選手だった。


1999年、滋賀・比叡山高校のエースとして、
春夏の甲子園に出場する。
「近畿のドクターK」と騒がれ、評判の高かった投手だった。

しかし、
春は、沖縄尚学に0-1。 夏は、桐生第一に0-2。
ともに一回戦で敗れた。
しかも、春夏とも大会初日で、
この、村西を打ち敗った両校が、ともに優勝する。

優勝校と当たった不運。しかも、接戦の末の敗退。
打線の援護がなかった。
比叡山は、滋賀の常連校ではあるが、
この年だけは、ホームが遠かった。

夏、桐生第一に敗れ、スタンドに挨拶したあと、
その場で座り込んで泣きじゃくった村西投手。
とても印象に残っている。
彼自身は、ベストピッチングだった。

その年、横浜ベイスターズに、ドラフト3位で入団。
長嶋茂雄氏が、「将来大物になる」と太鼓判を押した。
プロでの、活躍が期待された。

しかし、
プロ7年間の成績は、0勝0敗0セーブ。
甲子園でのホームベースが遠かったように、
また、彼には一つの数字も記されなかった。

1敗、ならば
それはそれで、一軍で投げた証しになる。
村西投手は、一軍にも昇格したが、
勝ちも負けも、縁がなかった。

まじめで、おとなしい性格だったようだ。
もっと、強気に自信を持てば、
大成したかもしれないと言われている。


二度の甲子園。7年のプロ人生。
「0」に終わった村西投手。
しかし、これからの人生では、
たくさんの、価値ある数字を残して戴きたいと思う。



横浜は、今シーズン44歳の工藤投手を迎え、
30日、巨人との開幕戦に臨む。
工藤は26年目。通算215勝。
これも、人生である。
コメント
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