カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

バブルというもの

2009-10-30 | エッセイ

前回のblogに引き続き・・・


 経済の専門用語としての定義、説明はこれで良いのだろう。
しかし、私は次のように考え、捉えてみたのである。
「バブル経済とは、経済のある部分で、多額のマネーが主に持続不可能な状態で、投機目的でやり取りされ、それが原因で本来のその部分の実体とかけ離れてモノの価値が高騰すること。」

 これはさらに一つ一つの用語の意味について吟味を必要とするが、ここは前記blogのwikipediaの文と比較し、その違いに気づいてもらいたい。経済成長という言葉は使っていない。難しいからだ。また「経済の中の資産価格」というものを、「モノの価値」として、曖昧には見えるが、その言葉が指し示す範囲を広げている。なぜか。そうでも言わないと今世の中で起きている諸現象を把握しきれないと思うからである。「投機対象の資産価格」とすると、引用文に書かれている通り、土地、住宅、株などを思い描きがちになってしまうのである。
 
 しかし、今という現代は、それら以外の、目に見えないモノが価値あるものとして評価され、価格という数値で定量化されることが多くなっている。だから言葉としても範囲を広げ、目をそういったものに向けるようにしようということなのである。経済用語の難しさと閉鎖性が、あるような気がするからだ。
 ここでは更に価値が価格として定量化されていないものもある、という大問題も孕んではいるのだが、問題が大きいので置いておく。これは上記の「経済用語の説明」の中では、どうも説明の範囲外のようなのだ。扱いたくないところなのだろうか。しかし、それは立派な経済現象ではないのか。
 
 また、「経済のある部分で」と私がいうのも、もし、全体がそうなったらという容易には想像できない事柄が念頭にあるわけで、これは上記の経済用語の説明の中では巧妙にも触れられていない。避けているのか思いつかないのか。
 
 それに加えて「持続不可能な投機」というのも、どの段階で持続不可能と見るのかという問題があり、これは私の考えたバブル経済の意味の中では申し訳ないことに安易に使っている。結果的に持続不可能だった、という捉え方しかできないのだろうか、という思いだ。事前に判断できるのなら歯止めもかけられるだろうけれど。
 
・・・以下つぎのblogへ

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