◆最近、新たに取り決められ、施行、運用されている法律でおかしな法律だなと思うものの一つに、「裁判員制度」というのがある。あれは自民党政権の時に決められたものである。2000年に入り、小泉政権などの頃から特におかしな法律、取り決めが多くなった。それらの経緯を見ていていつも思うことなのだが、これらの法律のおおもと、つまり最初の言いだしっぺ(あまりきれいな言葉ではないが)は一体誰なんだ?という事を思うのである。自民党議員というのは成長経済の中で役人の作ったシナリオに上手く乗れるというだけの能力の人が多く、役人やそれを利用する人々から便利がられた。言ってみれば神輿の上で踊れるという昔ながらの旧態依然の人間なら誰でもやれて、それらを便利に利用したのである。今はもう、この手の議員では駄目である。当時、裁判員制度を通そうとした議員たちの中に、多くのこの手の議員がいたことはまず間違いない。彼らは言いだしっぺ、つまり発案者ではないはずだ。それでは誰なのだろう? これは役人の中に、巧妙に隠れているのではないかと思うのだ。初期の段階の役所のナントカ会議で決まったというかもしれない。どこの会議だ? そして、その中の「誰」が言いだしたのか? その人間には外部の世界との利害関係はどの程度あったのか? 国会にかけられる法案のほとんどに通じる疑問点のように思えて仕方が無いのだ。
◆裁判員制度は私は悪法だと思う。天下の悪法というのはよくあるものなのだ。裁判員制度が言われ始めた頃、TVはそれに拍車をかけるように、裁判所の裁判官の質の低下、弁護士の質の低下を言いだし、このままだと弁護士資格を持った人間の数が少なく一人一人に裁判での負担がかかるという趣旨の番組を流した。だから一般の人々の参加が必要、という理屈を次に展開したのだったが、このような理屈と実行は拙速で、誰でも思いつく安易な筋道である。(一般の人々が裁判に関心を持つことが必要というのなら、それは裁判の経過などを知らせる広報の問題であって、上手く公開していけばよいだけの話である) ここで、今一つ踏ん張った見解として、優秀な裁判官、優秀な弁護士を育てる仕組みの整備を時間は少しかかるもしれないが整えて行こう、というような建設的な意見があったかというと、まるで聞かれなかったのである。いつも、び縫策ばかりなのだ。TV側は何を考えたのか、歴史も成り立ちも違うアメリカの陪審員制度まで引き合いに出し、おまけに、財政ひっ迫の折、一般人の参加で経費節減などという論調もまじえて、何も考えず突き進む鼠の大群のごとく、ニュースの大群を垂れ流したのであった。TVというのは、ニュースなどで少し流すだけでも、何百万人の人々が見るのだから、「大群」なのである。それに加えてTVというのは景気を持ち上げるための掛け声をかけるのに必死で、普段から実に思慮が浅く落ち着きが無いのだ。
◆だから、たぶん、今でも、悪事に実に鈍感な質の悪い裁判官、悪徳であることに無自覚な弁護士などの数は減っていないと思う。優秀な裁判官、弁護士も育っていないと思う。