「わが国は 筑紫の国や 白日別 母います国 櫨多き国」と、久留米がうんだ画家青木繁が詠んだ。
それほど、この地域はハゼが特産品だった。
今でこそロウソク等はパラフィン等の化学製品で占められているが、ひと昔まではハゼノキから木蝋をとっていた。
このためこの地方では、多くのハゼの木が植えられていた。
今でも木蝋が採取されているかどうかはわからないが、秋になると綺麗に色づき多くの人の目を楽しませてくれる。
ここにハゼノキを植えた人は、そんなことは露ほどにも思っていなかったに違いない。
物だけは豊かな時代にはなっている。