会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

仏門に入るきっけになった三島事件   柴田聖寛

2020-12-03 15:56:20 | オピニオン

 三島由紀夫氏が市ヶ谷で自刃してから先月25日に50年目を迎えましたが、あれから半世紀が経ったことが信じられません。それこそ諸行無常の思いがしてなりません。私が会社を辞めようかと思い悩んでいたときでした。そんなときにあの事件が起き、私が仏門に入るきっかけになった出来事でした。
 三島氏の「命よりも大切なものがある」との言葉に、私は心を動かされたのでした。それから信仰に目覚め、人よりもかなり遅れて比叡山学院で学び、比叡山や大原三千院で修行することになったのでした。33歳のことです。なぜ天台宗かといえば、一時期、二本松市の光恩寺の住職であられた故梅津香村師の弟子になったからです。梅津師は北方領土7カ村返還運動の先頭に立っておられた方で、そこに出入りする人たちは、三島事件のことをよく話題にしていました。
 三島氏の思想や行動については賛否両論があると思いますが、天才であっただけに、50年後の今になって、ようやく理解されるようになったのではないでしょうか。NHKですらおおっぴらに取り上げるわけですから。体を鍛えて筋肉隆々としたのは、文弱の徒でありたくなかったからだと思います。日本刀を引っ提げて決起したことは、あの時代の全共闘運動とも共通するものがあった、というのが私なりの感想です。

         合掌

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