会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

令和三年を振り返って   柴田聖寛

2021-12-30 18:24:01 | オピニオン

 今年も色々なことが公私ともにありました。残念でならないのは、平和を待望する世界の人々の思いとは違って、刻一刻と戦争に向かっているような気がしてならないことです。未だに新型コロナウイルスが収束していないのも深刻な問題です。
 それだけに私は、天台宗の一僧侶として、何が大事か身をもって痛感するに至りました。安岡正篤先生の『東洋倫理概論 いかに生くべきか』に収録された「真の脱落」の章で、「法華経如来神力品」を紹介されています。「若しは經卷処住の處、若しは園中(修行する精舎)に於て、若しは林中に於て、若しは樹下に於て、若しは僧房に於て、若しは白衣の舎(俗人の家)、若しは殿堂に在って、若しは山谷曠野、是の中皆應に塔を起して供養すべし。所以は何(いかん)。當に知るべし。是の處即是道場にして、書佛此に於て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼたい・正しい悟り)を得、諸佛比に於て法輪を轉(てん)じ、諸佛に於て般涅槃(はんねはん・悟りの境地に入る)す」
 安岡先生は「生を明らむるは佛家一大事の因縁なり。生死(しょうじ)の中に佛あれば生死なし」とも書いておられます。老いた今なってはなおさら、私は生死の覚悟によって誠の信仰者に一歩でも近づきたいと思っています。
 また、今年は牛の年でありましたが、牛は寒気に強く農耕の準備に用いられましたが、あくまでも準備の期間でありました。来年は寅年ですから騎虎之勢で、さらなる飛躍を目指したいと思いますので、何卒今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

       合掌


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