東京都新宿区の花園神社の社報「花その」10月26日号に作家の中村彰彦さんが「二本松少年隊の士風」という一文を書いておられます。私のルーツが二本松藩士ということもあって、興味深く読ませてもらいました。戊辰戦争の時は渡邊でしたが、戦いに敗れて安達太良山の山麓に移り住むことになってから、現在の柴田を名乗るようになったのです。
藩祖の丹羽長秀公が織田信長や豊臣秀吉の二代に仕え、越前、若狭と加賀半国を領有した猛将であったことや、木村銃太郎に率いられた二本松少年隊が大壇口での奮戦したことについて私は祖父や父から聞いていましたが、中村さんがよく調べておられるのには感心しました。
二本松少年隊の戦いぶりは「敵は地物を利用して、おまけに射撃が頗る正確で、一時我が軍は全く前進を沮碍(阻害)された」と薩摩の将野津道貫(後の元帥)が回想していたと、徳富蘇峰が『近世日本国民史72』で記述しています。白虎隊と同じように二本松少年隊の名は後の世まで語り継がれるべきであり、中村さんの「二本松少年隊の士風」がそのきっかけになればと願ってやみません。
同じ号にはノンフィクション作家の森本貞子さんの「田中清玄と早稲田大学総長となられた次男田中愛治氏」という文章も掲載されており、傑物といわれた田中清玄という人物についても知ることができました。
合掌
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