お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

ありがとう川相昌弘 引退しても忘れない

2006年10月15日 00時00分28秒 | プロ野球(きょうろぐ)
中日ドラゴンズ「バントの神様」川相昌弘選手が今期限りで現役生活を終え、中日ドラゴンズのコーチに就任する予定だそうです。

私は過去きょうろぐ選手名鑑で川相選手について書きました。

 僕が小学か中学の時、監督は藤田元司氏だったと思います。テレビ中継ですが、ランナー三塁 バントの名手川相選手は「スクイズ」の可能性もあった。
数球ファールする、いっこうにバントの気配を見せない。ベンチのサインは外野フライ?と思われた瞬間、川相選手はスリーバントスクイズを決めたのです。どよめくスタンド。そのどよめきはめったに感じる機会は無く、川相選手への賛辞のようでした。
 それ以来、強心臓を持つ川相選手に憧れるようになりました。その頃の僕は純粋に巨人ファンでした(苦笑)


 色々と巨人でごたごたがあり、川相選手は巨人で引退セレモニーするのですが、現役を希望。中日ドラゴンズ監督に新しく就任した落合氏に招かれ、中日ドラゴンズの一員となりました。名古屋在住の私にとって、嬉しくてたまらなかったです。
中日が目指す野球、投手力を中心にした守り勝つ野球、内外野守備陣の強化、そして1点を獲りに行くための「送りバント」の多様。

 かつて藤田氏が監督を務めていた頃、読売巨人軍は12球団随一の投手王国と呼ばれ、その申し子ともいえる川相氏を招へいしたのは、ある意味自然な流れだったかもしれません。

 選手とはいえ川相選手には選手としてのアドバイサーも受け持ちました。練習でそして試合で、お手本となる送りバントを見せる。特にランナーを死に物狂いで生還させる為の送りバントは、勝利にそのまま結びつき、中日勝利の方程式でもありました。しかも、打力も以前にも増してアップし、2004年、二度のサヨナラ安打を放ちます。

 今年に入って前半戦セパ交流戦の時、中日は負けが込んでいた。このままでは去年交流戦(降竜戦)の二の舞、そこでベンチはとんでもないカンフル剤をうちます。「2番ショート川相」巨人での引退試合以来のスタメン。
 年齢的に衰えていたとはいえ、日本球界歴代でも屈指の2番打者。結局この試合は負けますが、それ以後中日は交流戦で連勝街道まっしぐらですので、カンフル剤は効果的に効いたといえます。

 それでも年齢的な衰えは隠せない。確実に守備範囲が狭くなっている。(以前が守備範囲広すぎた面もありますが)
 セカンドの荒木選手が怪我で戦列離脱中に日本ハムから奈良原選手をトレードで獲得します。 奈良原選手もベテランの域ですが、左右への俊敏な動きは衰えず、足もあります。
 中日に合流してすぐ1軍に上がる。代走からセカンドのポジションに入ります。ピッチャーの頭を越え、セカンドベースよりの打球を俊敏に反応してごく自然にアウトにした。場合によってはセンター前に抜けていた、またはセカンドが追いつくも内野安打になっていたかもしれません。

その守備を見て直感的に思いました「川相さんの出番は少なくなるな」と。また「あの動きを見せられては川相さんの出番少なくなってもいたしかたがない」と。

 川相さんのファンは同じく体格的には恵まれていない「ちいさなおっさん」奈良さんのファンの傾向もあり、事実私がそうです。奈良さんの活躍は嬉しいけれど、川相さんの出番が無くなるのは、どうしても寂しい気持ちと両立し、複雑でした。

 年齢的に近い将来引退の時が必ず来る、その後、解説者を経て巨人に帰るだろう、その時は恨み節は一切言わず、温かく見送りたい。そう考えていましたが、とりあえず中日に残るようです。
 川相さんの選手枠は同じタイプのいぶし銀、守備力は最高レベルで川相さんと同じく試合に出れない苦しみを知る奈良原さんに引き継がれるようで、安心しています。川相野球を中日は今後も引き継いで行くでしょう。

 さて川相選手が積み立てた「送りバント」の記録を川相選手以前に持っていたのは、元中日選手の平野謙氏。
 今年得点圏打率の高い井端選手を三番にすえるオーダーを開幕戦で見せました。(私は3番井端、4番福留の布石と考えていました。)

 その時2番を打っていたのは、広い守備範囲を誇るルーキー藤井選手。彼は今後平野選手のようなタイプに育つだろうと、解説者は期待していました。ファンもそうだと思います。
 最高の2番打者 川相昌弘の後継者、今の井端選手を上げる事は出来ますが、川相さんが育てた、川相昌弘の後継者の姿を早く見たい気持ちもこみ上げてきます。

 巨人ファンの方にどうしても言いたいのですが、川相さんは原第一次政権でそのままコーチに就任するより、巨人の外で野球を観、そしてコーチ業を積み重ねる事で、確実に以前よりレベルアップします。巨人は悲しいかな、プロ野球再編、1リーグ制、球団合併問題「たかが選手が」発言、スカウトによるドラフト有力選手獲得に伴う不祥事等により、「負」のイメージが付きまといます。いちばん不幸なのはファンです。私も以前のような、巨人ファンが純粋に巨人を応援できるチームになって欲しい。
 その時、川相さんの中日での経験は絶対貴重な巨人、そしてプロ野球の財産になります。そのため、温かく川相さんを見守ってください。

 奇しくも移籍三年でユニフォームを脱ぐのは日本ハムの貴公子SHINJOと同じになりました。私はSHINJOをひまわり、川相さんを月見草とは言いません。
両選手プロ野球の将来を真剣に考えファンの為に働いた真のプロ魂を持った球界の宝です。オフには両選手のテレビでの対談は無いのでしょうかね?

 私自身、いぶし銀に憧れました。また、「心の中で泣いている」苦しい時もありました。川相昌弘著「明日への送りバント」は僕への大きな励みになりました。
大陸を股にかけたSHINJO、いぶし銀の川相さん、両極端に思えるかもしれませんが、私にとっては憧れです。

 両選手のプレーを観たファンの皆さんへもそのワンプレーは貴重な記憶、かけがえない財産となるでしょう。

 SHINJO、川相さんそしてファンの皆様の今後のご活躍を期待しております。

 日本シリーズではSHINJOは出場しますが、川相さんは微妙。川相さんの後釜奈良さんへ盛大な拍手をお願い致します。





サードの守備に付く川相さんと守護神岩瀬


背番号「0」を観るととっさに「川相?」とつぶやくファンも多いはず。
背番号「0」の代名詞的存在でした。ですが中日背番号「0」は高橋光信選手 神主打法に落合監督の現役時代を彷彿とさせます。




関連記事川相昌弘の背中を追う者
川相昌弘 「明日への送りバント」 前編
藤田元司 前讀賣巨人軍監督

初荷ならぬ初TBはプロ野球個人応援歌ベストナイン

これでセリーグ出揃いましたな

中日ドラゴンズの1年を振り返る

中日「野手の大魔神」奈良原選手を獲得 しかし…
奈良さん移籍後の開幕戦

下に続きがあるよ…










現役続行を希望し、中日もしくは他球団へ移籍してもコッソリ応援しますよ

心のどこかに現役を続けて欲しいと願うのは、SHINJOと同じですね。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コーチ業としての寿命も決して多くは無い (アキ)
2006-10-15 16:11:04
 昨年は数回三塁内野席で観戦しました。ゴロをお手玉したり、記録には現れなくとも確実にエラーは増えていました。相手の打球を読み、守備位置でのファインプレーももちろんあります。川相さんのエラーを見るたびにファンとして辛い。

 下に下がっても踏ん張る姿勢はもちろん大事にしたいのですが、魔法のような加齢じゃなくって華麗な守備を見ていた者としては、不憫です。



 それに川相選手の場合、第二の人生、コーチ業で大成する可能性が十分にあり、現在40代、コーチ業として十二分に働けるのも10年ほど。監督まで上り詰めるかはわかりませんが、コーチ業としての寿命も少ないのは確かなのです。



 グラブ捌きなど今までプロで培った技術を後継者に伝えて欲しい、そう願いたい。