お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました
 



新車という曲は他にも山車囃子として使っていたところもある。「名古屋郷土叢書 第四巻」の「堀田郷土史」に井戸田の大山(津賀田神社)について、次のような一節があります。

「大山車のこと
大山車の創建の年月は詳加ではないが、この中の箱書きに、安永年間に
改作された事記されているから安永以前からあった事は知られる。
 この大山は天白川の氾濫の止まるやうとの神願の薦めに建てられたもの
だと言ひ傅へられている。
 山車は十五才より二十五才までの若連中、二十六才より三十才までの中老、
三十一才より四十才までの大中老の者が曳くことになっている。
その二十五才の者の中から、横髪になる者が定められる。
この横髪になる者はこの山車の囃子方になるのである。
麻の水色の単衣の絽の黒羽織を着て、笹で作られたざいのようなものを振り
囃子の音頭を取るのである。
 恵比寿、大黒、山武士、唐子、采女、獅子、おかめの偶人があって、
神楽笛に合わせて踊る。その笛の曲の唐子の舞ひの笛の曲 新車を
福井松四郎氏が作曲せられ、太鼓の曲は松四郎氏渡邊新吉氏等により、
弘化年間に案出せられ、今に名曲として傅へられている。
今 松四郎氏の功績を傅へんために、1碑が弘法堂内に建てられている。」


井戸田の大山は戦災で焼失しましたが、戦後、有志の手により復活、しかしながら現在中止中。
それでも津賀田神社には現在、10月第一日曜だと思いますが、子供会などの手による小型の山車が集まります。(最近は津賀田神社の祭礼行っていないな。)また、地下鉄名城線 妙音通駅からすぐのところに「井戸田村 山車 由来」の看板が常時見れます。場所は長福寺の前。




津賀田神社









津賀田神社の南から社殿へ行くまでに、新車についての石碑が三つ並んでいます。写真はその1つ


石碑の1つにはこんなことが、以下抜粋

「當町氏神郷社津賀田神
 社ニ於ケル秋季大祭ニ際シ自
 往昔神慮ヲ可奉村氏擧ツ
 テ山車ヲ社頭ニ曳進ス其車
 上ニ於テ恵比寿大黒ノ二柱ヲ
 始メ其他ノ偶人楽ニ應シテ
 舞フ就中唐子舞踊ノ曲矢
 車ヲ弘化年間松四郎氏ア
 ラタニ新車ト称スル笛譜ヲ作
 曲セラレコレニ對スル太鼓ノ曲ハ是
 レ亦弥三郎新吉氏等ニヨリ
 テ案出セラレ衆ヲシテ驚嘆
 措ク能ハサラシメ爾ハラタ自傳
 フ之レ氏等カ功績偉大ナリ若
 シ夫レ斯クアラサレハ爭ウ此
 名曲ヲ得ン依而滋ニ銘ヲ
 録シ碑ヲ建設シ以テ悠
 久ニ祢フ爾云 」


山車を新調した時に「新車」を作った。その新車は、矢車という囃子をアレンジして新車を作ったのか?それとも、全く別の囃子「新車」を作ったとも解釈できます。井戸田の大山にも「恵比寿大国」はあったようです。(現在、花車、神明筋にある「二福神車」のカラクリと同様だったのだろうか?)
 「しんぐるま」「矢車」共に熱田神楽にあるようで、(熱田風土記より)しんぐるまは、伊勢神楽にもあります。獅子舞ですね。
津賀田神社の石碑を見て我がしんぐるまを探す旅は打ち切りにしたのですが、(そういえば、三重県、いなべ市の石取車の石取囃子 太鼓、鉦の他に笛が入ると訊いたので、真夏に「いなべ」へ行ったこともあったな。岡崎、祇園、しんぐるまの三曲に笛が入るらしい。)

 井戸田の山車由来、津賀田神社へ興味を持たれた方は、現地をゆっくり観てまわってください。(ただし、井戸田周辺は山あり谷ありのデコボコした地形、また、車では行けぬところも在りますので、急斜面のある歴史探索の徒歩のたびになると思ってください。)

長福寺へは、地下鉄妙音通下車、交差点「妙音通3」を北へ


ヤフー地図

ヤフーの地図だと位置関係が分かりやすい。
途中に竜泉寺 源 頼朝が産湯に使ったとされる「亀の井」があります。

 また、名古屋では稲荷と言えば「伏見稲荷」「豊川稲荷」ですが、日本三代稲荷に数えられる時もある、
仏教系稲荷「最上稲荷」を祭った「最経寺」も近くにあります。

 長福寺から津賀田神社へは地図を持たずに行くと道に迷うかも?


goo地図


goo地図通常版



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