お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました
 



名古屋人として、少々考えさせられる出来事がある。 愛 地球博のイベント。
せっかく昨年終わったのに、今年に入ってからも行うのは、なんだかな~と思う。
モリゾーとキッコロ森に帰ったのだから、そう何回も出てきては困る。
 何の為に期限を設けて行ったのか、愛 地球博のありがたみが減ってしまう。
(モリコロの商品で儲け様とする魂胆か?)

 祭礼、これは基本的に毎年行うものである。継続して続くもの。しかし例えば、平成18年度の祭礼は1回しかない。一回、数日しか味わえない。過ぎ去りし祭礼は絶対に戻ってこない。だから、毎年行う祭礼でもそこには、一瞬しか味わえない感動がある。それでも、その感動を懐かしむよりも、次に向かって進まなければならない。

 よく行われる「愛 地球博」追憶イベント毎回感動があると言われれば、反論できない。しかし、過ぎ去りし過去を引きずっては決して前を向く事は出来ない。もっとも、行う側に問題があると思うが。愛 地球博跡地を公園にしてそれで尾張…じゃなく終わりにしてもういい加減、過去の栄光に酔いしれるのは止めにすべきじゃないかな?

 ただ、モリゾーとキッコロ。中部、特に名古屋では「金のシャチホコ」「中日ドラゴンズのマスコット」並みに愛されている。これほど、人の記憶に残ったものは、ほとんど例が無いのではなかろうか。金のシャチホコを凌ぐロゴ、マスコットを作る事が今まで出来なかった事を考えると、画期的でもある。

 愛 地球博の追憶ではなく、モリゾーとキッコロが主、万博を超えて地域マスコットとして市民権を得たのならば、それはそれで嬉しいのだが、それでも何回も出てくると、違和感を感じるなあ。中部ではイベントの告知としてテレビでモリゾーとキッコロが出てくるのだが、未だに万博に未練があるとしか思えん。
 祭りの潔さ、過ぎ去りし過去の栄光に酔いしれない気持ち大切だと思う。


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