お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました
 



人間関係でもそうかもしれない。こと、山車祭に参加していると、その祭に熱く、深く接していると、自分が祭りに持つ「理想」と山車祭の「現実」のハザマで悩む人も多いのではなかろうか?

 別に悪いことじゃない、それだけ、高い目的意識を持ってやっているということ。だがやってはならぬことがある。それは、理想と現実のハザマで悩む自分のボヤキを外部の人間に漏らすこと。それって、身内のはじ話になるかもしれない。(祭)組織に所属する以上、所属組織の結束力を疑われるような言動を、外部に見せてはならない。こういう趣旨の話は、プロ野球現東北楽天の監督、野村克也氏の著書に見ることが出来る。

 ボヤキが多くて有名な氏がボヤクなと言っている事が面白いし、ボヤク内容をきちんと吟味している証。

 正直な所、僕は自分所の山車祭に「理想」を掲げたことはなかった。今ある「現実」に満足していて、これ以上望むものは何も思い浮かばなかった。それだけ「現実」が充実していた。

 にもかかわらず、僕は理想と現実に悩んだと思われている。確かに、祭の中で悩んだことは多い。だが、身内のはじ話になりそうな事を、話したことは無かった。口を出なかった。口に出すことは、組織に対する裏切りの念があった。

 誤解されることは多かったし、今でもそうだろう。世渡りが下手といえばそれまでだが、空気が読めぬ人間である証拠とも言え、人間的に問題があると考えている。むしろ恥じるべきところ。


 そこで今は祭に対して「求める」のではなく「与える」「残す」事を心がけようと思った。「理想」を「求める」のではなく、今ある自分の力で、どれだけ貢献できるだろうか?有形無形のものを「残す」事は出来ないだろうか?と考える様にした。(と言っても最近)

 お祭って「保存会」でしょ?ここは「残していく」所なんだよ。

 現実には「御祝儀」つまり現金をたくさん寄付するというのが、一番だろうが?残念ながら僕にはそれだけの財力が無い。それなら、頭と身体で残して行くしかない。

 求めず 与え とらわれず ではえらい冷めた人間に思えるが、現実は熱い行動で魅せる人が一番なんだよ。

 人間関係でもそうだろうね。



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