お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

東区の屋根神様その参 建中寺山門前の旧屋根神様

2006年01月20日 00時50分40秒 | 歴史探索
写真は尾張徳川菩提寺建中寺の南に広がる建中寺公園(元は建中寺の敷地内)の入り口にある、建中寺山門。写真ではわかりにくいですが、写真の右側にお社があります。祭るは牛頭天王(スサノオノミコト)津嶋神社です。
 旧町名では、筒井1,2,3 私は建中寺前の天王さんと呼んでいます。
(あまりに近すぎて写真撮ったことない、後日追記します)
 何を隠そう小さな旧 屋根神様の祭礼こそ「筒井天王祭」であり、小さなお社の祭礼に山車(神皇車)が出るのです。

 「筒井天王祭」に出るもう一つの湯取車の方も、旧屋根神様であり、山車蔵の前に鎮座しておられます。こちらも小さなお社。(情妙寺前、現 筒井四丁目)

 東区の五輌全て天王祭に出る山車であり、全て疫病除けの祭礼。
新出来町(西ノ切)鹿子神車 出来町(中ノ切)河水車 古出来町(東ノ切)王義之車。出来町天王祭の三輌は小さいとはいえ、天王社は神社の様相ですが、筒井天王、二輌の天王さんはお社そのまんま。

 小さな社の祭礼に大きな山車が出る、筒井天王祭のサプライズの1つですが、その驚きこそ、筒井天王祭の1つの魅力かもしれません。

 湯取車お祭り町内の1つである車道の屋根神様は物部神社(石神神社)へ遷都しました。近年は、車道の氏神でもある物部さんへ湯取車が行くようになりました。

 時代は変わっても、無意識に意識するものがある。神社の鳥居をくぐったときに、厳かな気持ちになる人が少数でもいる限り、決して滅びることはありません。
どのようにすがた、かたちが変わっても。

 天王祭ということで言えば、名古屋市西区東枇杷島の八坂神社は大提灯で有名です。押切近くの石取車が出る祭礼も津嶋神社です。西枇杷島町の山車が出る祭礼も天王社の祭礼。西区から西枇杷島にかけての「梵天祭」も津島神社か?

 山車祭りということで、違う分類わけになるかもしれませんが、疫病除けということで、東区の天王祭と西区の天王祭、類似点が多くあるかもしれませんが、これに関しては、調べたこと無いので、あしからず。


goo地図での筒井1,2,3(建中寺前)天王社(旧 屋根神様)

goo地図通常版

goo地図での筒井町四丁目(情妙寺前)天王社(旧 屋根神様)湯取車山車蔵前

正確には情妙寺の西側になり、自然院という寺の東側になります。

goo地図通常版

ヤフー地図の方がわかりやすいかな?

ヤフー地図建中寺前の旧屋根神様

拡大すると

ヤフー地図情妙寺前(湯取車山車蔵前)旧屋根神様

拡大すると

この記事で物部神社(石神神社)について書いているときに、NHKその時歴史が動いたで、物部守屋が。物部守屋は、牛に引かれての「善光寺」でも登場しますが、評価はイマイチ。

 物部の本宮は「石上神宮」武器庫だったと聞いていますが、こちらの石神さんそして、高牟神社でも物部一族の武器庫との伝承が。


私の連載はこれで一時終えますが、屋根神様についてもっと詳しく知りたい方は「屋根神様のある風景」をご覧ください。こちらの方は各地の屋根神様と祭礼の風景をたくさん撮っておいでです。今はなき風景に会えるかも。

山車祭について詳しく知りたい方はブログの左側にあるリンク集(ブックマーク)「尾張の山車まつり」をご覧ください。写真&文章が充実しております。