名古屋市東区の筒井町には2輌の山車があります。
1輌は「神皇車」もう1輌は「湯取神子車」その山車が出る祭りを「筒井天王祭」と呼びますが、筒井天王祭、6月第一金土日なので時期的に「夏祭り」と純粋に呼べないかもしれませんが、それでも「神皇車」本陣付近にある「建中寺」前には屋台が出ますので、「夏祭り」の雰囲気十分です。
…で山車祭りですので、2輌の山車が筒井町界隈を曳きまわされるのですが、夜になると提灯で飾られ幻想的な雰囲気を醸し出します。京都祇園祭の宵祭は「山鉾」を提灯で飾りますが、そのような感じですね。
名古屋の場合は、小回りが利くので夜、提灯をつけても山車を曳きまわすことができます。提灯を付けた山車が動く様子は、言うに言えぬ感動を覚えます。
筒井天王祭を語る上で欠かせない思い出があります。
おそらく昭和60年代、私が小学校に入った頃か…
筒井町天王祭千秋楽(最終日)の夜、とある交差点で、2輌の山車がそれぞれ向かいあってカラクリ人形を奉納するのですね。(地元では、出合いと呼んでいます)
お互いのカラクリ奉納が終わったあと、交差点で方向転換するのですが、(地域によってはどんてん、曲場と呼びます)この方向転換もお互いの楫方(山車を動かす若い衆)の力の見せ場ですが、湯取車は、豪快に2,3周ぶんまわします。
ついで神皇車は、千秋楽の日だけは、2周まわします。
私はこの時、はじめて神皇車がゆったりと2周まわしたのを見ました。
その感動忘れぬまま、神皇車が本陣に帰る「帰り車」について行きました。
その時、初めて神皇車「帰り囃子」を耳にしたのです。
子供ながらに、言うに言えぬ感動を覚えました。
「何時か山車に乗りたい」という夢はこの時「あの囃子を吹きたい」に変わったのかもしれません。神皇車の「帰り囃子」を聴かなければ、囃子方として、笛吹きの私は存在しなかったかもしれません。
それほど、神皇車の囃子に惹かれました。
哀愁をおびた、笛が祭りの終わりに泣いているような音色に魅かれました。
…思い入れいっぱいの「神皇車」の囃子ですが、
そこが、運命?のいたずら?現在、神皇車のライバルの囃子方ですので、人生って不思議と昔の自分を思い出して苦笑しております。
プロ野球に喩えると、第一志望の球団からドラフト指名を受けず、ライバル球団の指名を受けて、そのまま入団するようなものです?(上手い喩えではない?)
ライバルな山車の囃子方となった今でも、神皇車の帰り囃子は、日本人が持つ美学の真髄だと確信しております。その信念は揺るぎません。
私も各地の山車祭りを観る機会がありますが、1ケタの少年が浴衣を着て、「何時か山車に乗りたい」とつぶやく声をまれに聴きます。
10年、20年前の自分はああだったのだ、と昔を思い出し、嬉しくなります。
写真は昼の神皇車夜は提灯をつけます。(提灯付きの写真は持っていません、なぜか撮る機会が無い)
トラックバック先 「私の夏祭の想い出」
暑い夏のお楽しみ。浴衣を着ての夜店めぐり。子供のころの祭りの想い出から、好いた人との祭り見物。古里から遠く離れても、いつかは戻ってみたい祭りの夜に。
などなど、どうですかあなたのお祭りを、どうか聞かせてください。
あなたの思い出の曲はなんですか?
編集後記風に
もう夏祭りの季節ではありませんが菜根譚という中国の古典に
「少々盃をかさねても、天地の心理を悟る事ができれば、月の下で安物の琴をかなで、小さな笛を吹いて風に和すだけで、人生の楽しみを知ることができる」
とあります。悟るまではいっていませんが、今宵は中秋の名月。ふと、月の下で笛を吹き風に和する。笛を吹くことになった原点を思い出したくなりました。
動的な祭礼にどこか、世捨て人の風流を味わいたい人もいるのですよ。祭り人に哲学あり!!
1輌は「神皇車」もう1輌は「湯取神子車」その山車が出る祭りを「筒井天王祭」と呼びますが、筒井天王祭、6月第一金土日なので時期的に「夏祭り」と純粋に呼べないかもしれませんが、それでも「神皇車」本陣付近にある「建中寺」前には屋台が出ますので、「夏祭り」の雰囲気十分です。
…で山車祭りですので、2輌の山車が筒井町界隈を曳きまわされるのですが、夜になると提灯で飾られ幻想的な雰囲気を醸し出します。京都祇園祭の宵祭は「山鉾」を提灯で飾りますが、そのような感じですね。
名古屋の場合は、小回りが利くので夜、提灯をつけても山車を曳きまわすことができます。提灯を付けた山車が動く様子は、言うに言えぬ感動を覚えます。
筒井天王祭を語る上で欠かせない思い出があります。
おそらく昭和60年代、私が小学校に入った頃か…
筒井町天王祭千秋楽(最終日)の夜、とある交差点で、2輌の山車がそれぞれ向かいあってカラクリ人形を奉納するのですね。(地元では、出合いと呼んでいます)
お互いのカラクリ奉納が終わったあと、交差点で方向転換するのですが、(地域によってはどんてん、曲場と呼びます)この方向転換もお互いの楫方(山車を動かす若い衆)の力の見せ場ですが、湯取車は、豪快に2,3周ぶんまわします。
ついで神皇車は、千秋楽の日だけは、2周まわします。
私はこの時、はじめて神皇車がゆったりと2周まわしたのを見ました。
その感動忘れぬまま、神皇車が本陣に帰る「帰り車」について行きました。
その時、初めて神皇車「帰り囃子」を耳にしたのです。
子供ながらに、言うに言えぬ感動を覚えました。
「何時か山車に乗りたい」という夢はこの時「あの囃子を吹きたい」に変わったのかもしれません。神皇車の「帰り囃子」を聴かなければ、囃子方として、笛吹きの私は存在しなかったかもしれません。
それほど、神皇車の囃子に惹かれました。
哀愁をおびた、笛が祭りの終わりに泣いているような音色に魅かれました。
…思い入れいっぱいの「神皇車」の囃子ですが、
そこが、運命?のいたずら?現在、神皇車のライバルの囃子方ですので、人生って不思議と昔の自分を思い出して苦笑しております。
プロ野球に喩えると、第一志望の球団からドラフト指名を受けず、ライバル球団の指名を受けて、そのまま入団するようなものです?(上手い喩えではない?)
ライバルな山車の囃子方となった今でも、神皇車の帰り囃子は、日本人が持つ美学の真髄だと確信しております。その信念は揺るぎません。
私も各地の山車祭りを観る機会がありますが、1ケタの少年が浴衣を着て、「何時か山車に乗りたい」とつぶやく声をまれに聴きます。
10年、20年前の自分はああだったのだ、と昔を思い出し、嬉しくなります。
写真は昼の神皇車夜は提灯をつけます。(提灯付きの写真は持っていません、なぜか撮る機会が無い)
トラックバック先 「私の夏祭の想い出」
暑い夏のお楽しみ。浴衣を着ての夜店めぐり。子供のころの祭りの想い出から、好いた人との祭り見物。古里から遠く離れても、いつかは戻ってみたい祭りの夜に。
などなど、どうですかあなたのお祭りを、どうか聞かせてください。
あなたの思い出の曲はなんですか?
編集後記風に
もう夏祭りの季節ではありませんが菜根譚という中国の古典に
「少々盃をかさねても、天地の心理を悟る事ができれば、月の下で安物の琴をかなで、小さな笛を吹いて風に和すだけで、人生の楽しみを知ることができる」
とあります。悟るまではいっていませんが、今宵は中秋の名月。ふと、月の下で笛を吹き風に和する。笛を吹くことになった原点を思い出したくなりました。
動的な祭礼にどこか、世捨て人の風流を味わいたい人もいるのですよ。祭り人に哲学あり!!