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チラシの裏

どろろ

2019年06月30日 | アニメ・特撮
「どろろ」おもしろかったですね。
予想していた話とはずいぶん違っていましたが、
リブートとかリビルドっていうのは、こういうことなんでしょう。

「刀鍛冶」の回はシリーズ中唯一のコメディ回で、
ヒョウタンツギやスパイダーが出てきて、ロートルファンへのサービス満点。
ゲストヒロイン(鍛冶屋の娘)がやたらに「だがね」を語尾につけてましたが、
声優さん(「SSSSグリッドマン」のヒロイン)は愛知県尾張地方出身じゃないですよね。

最後は燃える城の中での一騎打ちという、冒険ものの王道展開。

最後に取り戻した目で見た最初の光景が母親「縫」の顔と、寿光が指を突きつけている光景。
母親の顔と寿光が彫った観音像が並んでいたところから、母親と観音が比例されることはわかりましたが、
寿光はどこを指さしていたのか。

ちょっと思ったのは、ミケランジェロのシステナ大聖堂の天井画、神がアダムを創造する場面。
神様の指先とアダムの指が触れているようで、触れていない有名な画。
たぶん映画「E.T.」はこれのパロディではないか、閑話休題。

今作が原作漫画とも旧アニメ版とも違うのは、自我がまったく確立されていない百鬼丸という設定で、
母親縫が「いまの百鬼丸は、おもちゃを取り上げられた赤子のよう」と言っていたことから分かるように、
自我形成前の赤ん坊(それ以前かも)がただ生きていただけ、というように描かれていました。

その百鬼丸が身体を取り戻したあと(目玉を取り戻した後)、
父・神(寿光)から息子・アダム(百鬼丸)へ、生命が吹き込まれた、というように見えたわけです。
今作の製作者からのエクスキューズは
「どろろが百鬼丸を人間へ導く存在ならば、どろろと出会うまではどうだったのか?」
ということだと思います。

寿光から手足をもらっただけで内面は赤ん坊のまま、どろろと出会ったことで他者の存在と心を知り、
最後には自分を陥れた実の父親へ観音像を贈るまでになった百鬼丸が、
どろろと再会するためには、おのれの精神を同じ階層へ引き上げるために旅に出る、
という最後はうなずけるものがあります。

しかし、なんといっても、おっかあによく似た美少女に成長したどろろを見せてくれたのは、もうGJ。
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