カンボジアの子供たち(2017年)
昔日本列島に多くの集落があったように世界中の至る所にも集落が乱立し、互いに勢力争いを続けていました。
それが小国となり、隣り合った小国と戦っていくうちに段々大きな国となっていきました。
武器や科学技術の進歩によって、そして乗り物という手段を手に入れた人間の行動範囲も拡大していき、遠く離れた国へも攻撃できるようになってきました。
乗り物の手段を持たなかった頃は人が一日で移動できる範囲はせいぜい50kmほどですが、馬を使うようになり、エンジンを使った乗り物を使うようになり、そして高速鉄道、飛行機といった乗り物を使うようになると一気に移動距離が伸びていきました。
遠くにいる人に何かを伝えようとする時、昔は歩いて行って伝えるしか手段はありませんでした。そのうち書き付けを渡したい相手のいるの方角へ行く人にそれを託すようになり、郵便システムを利用するようになり、電気利用が進むと共に、電信、そして電話を利用するようになり、今ではインターネットの普及によって地球の裏側にいる人とも同時刻にテレビ電話をすることすら可能となってきました。
経済面においても、昔は歩いて行ける距離にあった市場で物々交換していたものが、運搬技術の発達によって遠くの品物も手に入るようになり、現在ではこれもインターネットの普及によって世界中の人々が同時に経済取引を行えるようになってきました。更にヨーロッパのユーロ圏では使用する通貨も統一され、経済面では一つの国の様相を呈してきました。
このように、人々の日常のコミュニケーションは、昔の村落内だけであったものから小国内へ、そして国へと広がり、現在では全世界規模で行われるようになっています。つまり現在世界には国境によって多くの国々に別けられてはいますが、一部地域を除いて人々はまるで別の県へ行くような感覚で自由に行き来できるようになっているわけで、今やこの世界が一つの国とも言えるでしょう。
そもそも第二次世界大戦後に国際平和や国際協力を行う目的で国際連合が設立されましたが、現状では残念ながら強国中心のエゴが先立つことから、なかなかまとまりがつかず本来の目的が果たせているとは思えません。
この国際連合設立を先導したアメリカ合衆国には現在それぞれ独立した50の州があり、それらがアメリカ合衆国という国にまとめられています。ですから、それぞれ独自の法律を持った世界の国々が国際連合という組織の元にまとまり一つの国のように機能することも、現在のようにグローバル化した世界では既に可能なのではないでしょうか。
もちろん国際連合も今のままではその目的を果たす機能は備わっていませんから、司法、行政、立法といった独立した機関を備える為の最低限の組織改革は必要で、更に、テロや内乱、そして軍事的強硬手段を用いかねない北朝鮮のような国に対しては、行政機関の中に含まれる治安警察の役割を担う国連軍をそのシステムに合わせて強化し、世界規模で取り締まらなくてはなりません。
現在は、世界のどこかで紛争があっても当事国どうしの争いだとして傍観し、利権に絡む国々だけがそれに荷担するような状態ですし、最近騒がれている北朝鮮問題にしても、所詮当事国以外は傍観しているだけです。そしてそれら当事国は相手の戦力に対して自国の戦力強化をはかり、今にも最終兵器の発射ボタンを押しそうなところまで緊迫感が増してきています。もし報復として膨大な数の核兵器が使用されるとなると、被害が全世界にまで広まってしまいかねません。
戦争は始めるのは簡単ですが、破壊し尽くされ多くの一般人の犠牲を出さない限り終わりを迎えることができないことは、私達日本人が一番身に染みて分かっていることのはずです。
地球温暖化対策でも各国の利害関係が先に立って暗礁に乗り上げたままですし、必要不可欠な地球人口の抑制に関しては議題にも上がりません。このような地球規模の各国の利権が関係するような問題も新制国際連合でなければ永遠に解決できないことでしょう。
私はこのようなシステムを再構築した新制国際連合が、この世界をひとつの国としてリードしていけるようになる日を私達の子孫のために待ち望んでいます。