七月がはじまりました。
七月は福博の街は「博多祇園山笠」というお祭り一色になります。
ちなみに山笠が終わると梅雨があけるともいわれています。
伝承によると、鎌倉時代の1241年夏、博多で疫病が蔓延し多くの人々がその犠牲となりました。このとき、宋から帰国してきた承天寺の開山聖一国師弁円が、町人達のかつぐ施餓鬼棚に乗って町内を練りまわり、疫病封じの祈祷水をまき清めたとされます。
この施餓鬼棚が発展して山笠の形となったともいわれていますが、それについては他にも諸説があり、その起源は定かではありません。
毎年7月1日から15日までが山笠の期間であり、その間、博多の町のいたるところに「飾り山」が建てられ行き交う人々の目を楽しませてくれます。
1日には当番町、9日に全流れによる筥崎浜でのお汐井とりが行われ、10日夕刻の流舁きから舁き山笠が動き出す。
11日早朝は朝山、12日午後は追い山ならし、13日午後は集団山みせ、14日の流舁き、そして15日早朝の追い山で全行事を終わります。
ちなみにクライマックスの追い山のの終点は櫛田神社です。
楼門
本殿
櫛田神社も飾り山があります(こんな感じです)
七月は福博の街は「博多祇園山笠」というお祭り一色になります。
ちなみに山笠が終わると梅雨があけるともいわれています。
伝承によると、鎌倉時代の1241年夏、博多で疫病が蔓延し多くの人々がその犠牲となりました。このとき、宋から帰国してきた承天寺の開山聖一国師弁円が、町人達のかつぐ施餓鬼棚に乗って町内を練りまわり、疫病封じの祈祷水をまき清めたとされます。
この施餓鬼棚が発展して山笠の形となったともいわれていますが、それについては他にも諸説があり、その起源は定かではありません。
毎年7月1日から15日までが山笠の期間であり、その間、博多の町のいたるところに「飾り山」が建てられ行き交う人々の目を楽しませてくれます。
1日には当番町、9日に全流れによる筥崎浜でのお汐井とりが行われ、10日夕刻の流舁きから舁き山笠が動き出す。
11日早朝は朝山、12日午後は追い山ならし、13日午後は集団山みせ、14日の流舁き、そして15日早朝の追い山で全行事を終わります。
ちなみにクライマックスの追い山のの終点は櫛田神社です。
楼門
本殿
櫛田神社も飾り山があります(こんな感じです)