私ごとですが、幼稚園から大学入学までいじめをうけました。
いじめは「無視」です。
お友達をつくろうと思っても、みんなが声をかけるどころか
さけるので悲しい思いをなんどしたことかわかりません。
たまに転校生がやってきて、転校生と友達になっても、転校生はいじめっこに声をかけられ
私はまたひとりになりました。
高校では卒業アルバムに私の写真が一枚もありません。
なので両親にはみせませんでした。
いじめられていると親にそうだんすればよかったのかもしれませんが
かえって悪い結果をまねくとおもったので、家ではつとめてふつうにすごしましたが。
いじめられていることをさとられまいと、昼休みはかならず図書館にいきました。
読書の習慣がついたのもそのころです。
私たちの世代は、なんでもグループをつくって行動するのが常でしたので
遠足でもお昼には一人ぼっちになってしまうため、先生がみかねてどこかのところ(グループ)に
はいってたべていました。
普通は遠足といえば、みなさんはたのしいものとおもわれるかもしれませんが
わたしにとっては悲しく苦痛でした。遊ぶ相手もいなかったからです。
しかしなぜのりきれたかというと世の中は常に変化しており、未来がかならずくるので希望を持つようにと
そう恩師がはげましてくれたからです。
この言葉をささえに、いままでいきてこれたのです。
今はいじめられることはありませんが、
未来がある、真っ白な未来が用意されていると未来に希望をもって生きていると
かならずそのときはくるものです。
未来はないと失望して自殺を考えるひとがいるとなんとなく気付いたら
未来はある、かならず状況は変化するのだから大丈夫と、伝えてあげてください。
希望をもつようにと。