My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

供養について

2015-07-22 15:53:12 | こころの窓辺から


引っ越しが終わって、二週間近くたちました。

引っ越しすると、不用品もそうですが、いろいろなものが出てきます。

たとえば、遺品などです。

その中に、ツレの父親である、(私からすると義父)をしのんだ追想集なるものが

出てきましてろいろと考えさせられました。


いつも、なぜか、次男であるツレが、いわゆる「法事」(父親、母親など)を行うのが通例に

なっていました。



長男だったツレの父親(私から言えば、義父)の法事には、義父のきょうだい以外に

参加する身内はありません。(いとこなどで代替わりで参加する人はいない)

また、新婚のときから、嫁の私が疑問に思っていたこと・・。


義父は、気難しいところなど、いろいろあったようですが、法事なのになぜか

亡くなって、故人になった義父のゴシップしか、話題にあがらないのです。


ひとは、悪い面だけではありません。

義父の追想集を読むと、たくさんのエピソードがつづられていますので、なおさら考え込んで

しまいました。

故人をしのぶ法事の席で、その故人の悪口しか話題にあがらない・・・

お義父さんは、あの世があるとすれば、そこでどう思っているだろう?


追想集なので、写真ものっていますが、印象的な写真がありました。

長男であり、一家を支えるために就職して、初めて帰省した際の写真です。

疲れ切って、精細を欠いた義父と、フツーに帰省を喜んでカメラにおさまっている(きょうだいたち)家族の写真。


私は、もう、法事をする必要がないのではないか、と思いました。


子供(ツレなど)たちで、心をこめて、「ありがとう」と、お坊さんにお経をあげてもら

ことで、簡単にすませてもいいのではないか?



今年は法事の年なのですが、とにかく忙しいのと、年寄りになった「叔父、叔母」の安全も

ありますので、ツレの気持ちを思い切って聞いてみることにしました。



やはり、負担になっていたようです。

長男である義兄夫婦は、キリスト教を信仰しており、普通の感覚の弟のツレにバトンが

いやいや回ってきていたいきさつもあるのでしょう



「そうするよ」

手短に答えて、ツレは仕事に突入していきました。


そういうわけで、供養とは、そもそもどういうものか、ということですが

私は、「真心」がない、形だけの供養は、正直、意味がない、と思います。



親戚の憩いの場になっている、そういう点で「法事」を行うのはよいと思いますが

あまりこだわらなくても、よいのではないか、とも感じています。
























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