どんな一日でも1回位は楽しい出来事があるはず!せっかくの一日だもの、楽しんで過ごします♪
一日1笑
The Cracked Pot ひびわれ壺
「いい本があったので読んでみて」
kobaさんから絵本を頂きました。
『 The Cracked Pot ひびわれ壺 』
は、インドの民謡としてメールからメールへと広まり、
海外の様々なサイトで紹介されている物語だそうです。
-------------------------------------------------
つい最近も子育ての悩み(というかグチかな )
をkobaさん始め火1クラスの皆さんにこぼしたばかり。
同じ世代のごまめさんは、ニヤニヤしながら共感してくれます
父と同郷のYさんは、幼い頃の思い出を織り交ぜながら励まして下さいます。
いつも穏やかでやさしいMさんは、黙って話を聞いてくれ「私もそうだったのよ」
そしてkobaさんからは素敵なプレゼント
皆さん、いつも本当にお世話になります
----------------------------------------------------------------
ここまで書いて、さあストーリーをどんなふうにご紹介しようかと
ネット検索をしたら、なんと!
しばやん先生ブログに全文が紹介されていました。
こんな身近なところで
「子育て」という
今自分の中での一番のウィークポイントとして読んだ今回だからこそ
こんなにも心に響いたのでしょうか?
---------------------------------------------------
あとがき より
翻訳者 菅原 裕子さんの言葉
「子どもが我が子としてここに来てくれたこと以上に、
生きていてくれること以上に、何を望むことがあるの?」
その通りなんです。分かっているんです。
「人の事情はそれぞれです。
愛されなかった人。愛され過ぎた人。
親の事情もそれぞれです。
自分の人生に精いっぱいで、子どもを愛することさえできなかった親。
愛するがゆえ、愛しすぎた親。
でも、ただひとつ言えることは、
親はそのやり方しかしらなかったということです」
ここで涙がこぼれました。
お父さんもお母さんも、
きっと手探りで長女の私を育ててくれてたんだよね?
親の立場になった私。
子育てなんて知らないまま、わからないまま
ただ7年間という時が流れただけだったのかもしれない。
これでよかったんだろうか?
出産後、優花を自宅に連れ帰り用意したベットに寝かせた時のこと。
頭に浮かんだのは、
「この目の前の物体をどうしたらいいんだろう?」
子育てに夢を描いていたわけではない私は(オイオイ )
出産までの本は読んでいたけれど、
その後のことについてはまったくの白紙状態。
いきなり 「あなたがお母さんですよ」 といわれて渡されても
どうしていいのかわからないじゃない
最初の挫折感は入院中の授乳タイム。
うまくくわえることができない。
ちっとも飲んでくれない。
そうこうしているうちに男の子のママや2人目のママは
さっさと済ませ帰っていく。(今思うとそりゃそうだ )
なんでできないのよーーーーー
今までの人生、とりあえず人並みにはなんでもできた。
自分自身でなんとかなった。
でも突然(でもないけど)
私の中から出てきたこの新しい物体は思うようにいかない。
どうしていいのかわからない
「講演に参加してくれたある女性との会話です。
彼女はそれまでたくさんの講演を聴いたそうです。
そしてそのたび必ずと言っていいほど、
母として至らない自分を責め、罪悪感を深めてしまったそうです。
正しい子育てというものがあって、
それができない自分はダメだと思ってしまうというのです。
ところが「今日の講演は違った」といってくれました。
たしかに反省することはたくさんあったけれど、
罪悪感を手放すことができた、罪悪感を持つかわりに行動しようと思えた、
と語ってくれました。」
この本を読んで、私も気持ちが軽くなりました。
子育ての仕方はひとつじゃない。
正しい子育て、なんて枠組みがあるわけない。
そう思いながらも、
こんな私のもとに生まれてきた優花が不憫でかわいそうで・・・
私の子育てってあまりにもなってないんじゃないか?
ううん、それ以前にこれが「子育て」って言えるんだろうか?
社会人&妻&母
あれもしたい、これもしたい、あんなことこんなこと
ひとりで気ままに動けていた頃、自由だった頃がなつかしい。
欲張りで、我がままで、自分勝手な私
もっともっと、
優しくて、心が広くて、おおらかで、全ての愛情を注いでくれる
母親のもとに生まれてきたら、
優花はもっともっともっと幸せだったのでは・・・
いつもそう思っていた幼少期。
ある程度物事が分かる年齢になってからはまた違った感情。
「なんでそうなの?」
「どうしてそんな子に育っちゃったの?」
ちゃんと子育てできてない、
そう反省しながらの勝手な言い分・・・
「親の常でしょうか。
私たちは、与えられたものに満足しません。
どれほど素晴らしい子どもをもらっていても、
足りないところを探して、よりよくなることを求めているのです。
それは実は、子どもがあるがままで充分であり、
そんな素晴らしいものが自分のところに来たことを喜んで、ただ感謝をすれば
子どもはもっと伸びることを知らないからです。」
優花、ごめんね。
「18歳からは自分の人生。
親の未熟と不徳をわびて、自分の人生を生きていくように見送って下さい。」
7歳の優花にはまだ早すぎる言葉だよな~
とりあえず、今までの未熟と不徳をわびておきましょう。
そして今日から気持ちを入れ替えて母親をしていきましょう。
---------------------------------------------------
『ひびわれ壺』
本文はもちろんのこと、菅原裕子さんの言葉を目にして
本当にいろいろなことに気付かされました。
そして私の奥底にあった罪悪感から少し解放された気がします。
そういえばまだ優花が2~3歳の頃、
ある人にこう言われました。
その人は私の悩んでいる気持ちを見透かしたかのように
「お嬢さんが7~8歳の頃に少し大変な時期があるけれど、
大丈夫、その後は落ち着きますよ」
まだまだ迷うことばかりだけれど一歩前に進めた気がする。
今、この本と出合えたのもきっと大きな意味があるはず。
素直な心で受け止めていこうと思います
kobaさんから絵本を頂きました。
『 The Cracked Pot ひびわれ壺 』
は、インドの民謡としてメールからメールへと広まり、
海外の様々なサイトで紹介されている物語だそうです。
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つい最近も子育ての悩み(というかグチかな )
をkobaさん始め火1クラスの皆さんにこぼしたばかり。
同じ世代のごまめさんは、ニヤニヤしながら共感してくれます
父と同郷のYさんは、幼い頃の思い出を織り交ぜながら励まして下さいます。
いつも穏やかでやさしいMさんは、黙って話を聞いてくれ「私もそうだったのよ」
そしてkobaさんからは素敵なプレゼント
皆さん、いつも本当にお世話になります
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ここまで書いて、さあストーリーをどんなふうにご紹介しようかと
ネット検索をしたら、なんと!
しばやん先生ブログに全文が紹介されていました。
こんな身近なところで
「子育て」という
今自分の中での一番のウィークポイントとして読んだ今回だからこそ
こんなにも心に響いたのでしょうか?
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あとがき より
翻訳者 菅原 裕子さんの言葉
「子どもが我が子としてここに来てくれたこと以上に、
生きていてくれること以上に、何を望むことがあるの?」
その通りなんです。分かっているんです。
「人の事情はそれぞれです。
愛されなかった人。愛され過ぎた人。
親の事情もそれぞれです。
自分の人生に精いっぱいで、子どもを愛することさえできなかった親。
愛するがゆえ、愛しすぎた親。
でも、ただひとつ言えることは、
親はそのやり方しかしらなかったということです」
ここで涙がこぼれました。
お父さんもお母さんも、
きっと手探りで長女の私を育ててくれてたんだよね?
親の立場になった私。
子育てなんて知らないまま、わからないまま
ただ7年間という時が流れただけだったのかもしれない。
これでよかったんだろうか?
出産後、優花を自宅に連れ帰り用意したベットに寝かせた時のこと。
頭に浮かんだのは、
「この目の前の物体をどうしたらいいんだろう?」
子育てに夢を描いていたわけではない私は(オイオイ )
出産までの本は読んでいたけれど、
その後のことについてはまったくの白紙状態。
いきなり 「あなたがお母さんですよ」 といわれて渡されても
どうしていいのかわからないじゃない
最初の挫折感は入院中の授乳タイム。
うまくくわえることができない。
ちっとも飲んでくれない。
そうこうしているうちに男の子のママや2人目のママは
さっさと済ませ帰っていく。(今思うとそりゃそうだ )
なんでできないのよーーーーー
今までの人生、とりあえず人並みにはなんでもできた。
自分自身でなんとかなった。
でも突然(でもないけど)
私の中から出てきたこの新しい物体は思うようにいかない。
どうしていいのかわからない
「講演に参加してくれたある女性との会話です。
彼女はそれまでたくさんの講演を聴いたそうです。
そしてそのたび必ずと言っていいほど、
母として至らない自分を責め、罪悪感を深めてしまったそうです。
正しい子育てというものがあって、
それができない自分はダメだと思ってしまうというのです。
ところが「今日の講演は違った」といってくれました。
たしかに反省することはたくさんあったけれど、
罪悪感を手放すことができた、罪悪感を持つかわりに行動しようと思えた、
と語ってくれました。」
この本を読んで、私も気持ちが軽くなりました。
子育ての仕方はひとつじゃない。
正しい子育て、なんて枠組みがあるわけない。
そう思いながらも、
こんな私のもとに生まれてきた優花が不憫でかわいそうで・・・
私の子育てってあまりにもなってないんじゃないか?
ううん、それ以前にこれが「子育て」って言えるんだろうか?
社会人&妻&母
あれもしたい、これもしたい、あんなことこんなこと
ひとりで気ままに動けていた頃、自由だった頃がなつかしい。
欲張りで、我がままで、自分勝手な私
もっともっと、
優しくて、心が広くて、おおらかで、全ての愛情を注いでくれる
母親のもとに生まれてきたら、
優花はもっともっともっと幸せだったのでは・・・
いつもそう思っていた幼少期。
ある程度物事が分かる年齢になってからはまた違った感情。
「なんでそうなの?」
「どうしてそんな子に育っちゃったの?」
ちゃんと子育てできてない、
そう反省しながらの勝手な言い分・・・
「親の常でしょうか。
私たちは、与えられたものに満足しません。
どれほど素晴らしい子どもをもらっていても、
足りないところを探して、よりよくなることを求めているのです。
それは実は、子どもがあるがままで充分であり、
そんな素晴らしいものが自分のところに来たことを喜んで、ただ感謝をすれば
子どもはもっと伸びることを知らないからです。」
優花、ごめんね。
「18歳からは自分の人生。
親の未熟と不徳をわびて、自分の人生を生きていくように見送って下さい。」
7歳の優花にはまだ早すぎる言葉だよな~
とりあえず、今までの未熟と不徳をわびておきましょう。
そして今日から気持ちを入れ替えて母親をしていきましょう。
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『ひびわれ壺』
本文はもちろんのこと、菅原裕子さんの言葉を目にして
本当にいろいろなことに気付かされました。
そして私の奥底にあった罪悪感から少し解放された気がします。
そういえばまだ優花が2~3歳の頃、
ある人にこう言われました。
その人は私の悩んでいる気持ちを見透かしたかのように
「お嬢さんが7~8歳の頃に少し大変な時期があるけれど、
大丈夫、その後は落ち着きますよ」
まだまだ迷うことばかりだけれど一歩前に進めた気がする。
今、この本と出合えたのもきっと大きな意味があるはず。
素直な心で受け止めていこうと思います
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