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今日も、歩いて行こうか…

近郊の山歩きや、昔の街道・古道を歩いてみたり…、鈍行列車で知らない町を訪ねると、探していたモノが…きっと見つかる。

日本三大山城:奈良県高取城へ…

2014-03-15 21:01:42 | 昔探しの旅:街道・古道…

2004年4月:岡山県の備中松山城、2007年9月:岐阜県の岩村城…と、以前に日本の三大山城:二ヶ所に登城。

今回ようやく残る…奈良県高取町にある<大和高取城:標高583.9m>に登城して来ました。

近鉄:壺阪山駅前を11時40分過ぎに出て国道169号線を越えると高取藩の城下町・土佐、大和平野と吉野地方を結ぶ土佐街道。

今日は町全体で「町家のひな祭り」を開催中…各家自慢のお雛様を飾っていて、それを楽しむ観光客で賑わっていました。

静かな町並みを楽しむつもりでしたが予想外…、それぞれの商店でも店頭で食べ物やらお土産を販売したり…。

カメラ片手の観光客も多く、仕方なく城跡に向かって先を急ぐことにしました。

約30分ほどで山の麓近くの「砂防公園」、次第に道が狭くなり…程なく「宝泉寺」分岐。そこから山の中に。

階段状に整備されたコースですが、結構な坂道です。

約30分ほどで「猿石」…

 ↓ その後、国見櫓跡へ立ち寄り…眼下に土佐の町並み、大和盆地が眺められ、晴れていれば六甲も見えるとか…

苔むした石垣、崩れそうな石垣などの脇を通り、大手門、二ノ丸、本丸へ…

 ↓ 本丸跡から南を眺めると遠くに「大台ケ原」、「大峰山系」…、東には「台高山系」も…

ここは日が当たって暖かく、13時20分:昼食タイム…終えた頃、単独ハイカーのおじさんがやって来て、暫く話しを…。

良くここに来るようで、今日は壷阪寺の方から登ってきて、砂防公園の方向に下るとか。

丁度、壷阪寺方面に下る予定だったので、コースポイントを教えて頂いてお別れ…。

 ↓ 石垣の壮大さを美的に…

壷阪門から「五百羅漢」へ…

途中、少し迷いやすい場所もありましたが、ここまで来ると「壷阪寺」まであと少し…

 ↓ 広大な敷地の壷阪寺は西国六番札所…

駐車場:バス停の脇から細い坂道を谷川まで下り、その後は川沿いの歩き易いコース…

途中、車道に出る手前で、おじさんに教えたもらった脇道へ…やがて、昔ながらの街並みに。

このあたりも雛飾りの家々があり、それを楽しみに訪れる観光客がそぞろ歩き…。

最初に歩いた「土佐街道」に戻り…近鉄:壺阪山駅に15時25分に到着。

ホームに向かうと本丸跡で別れたおじさんに再会…一緒に15時40分発の急行に乗車、電車の中でもいろいろ話をし…

あちこちの山歩きをしていて、六甲にもよく来るとかでした。

おじさんは藤井寺…とのことで乗り換えのため途中下車…今日も一期一会の「昔探しの旅」が楽しめました。

 

 


北国街道の要衝:木の芽峠を越え、板取宿~今庄宿へ…

2009-04-07 23:29:51 | 昔探しの旅:街道・古道…
'09春:青春18きっぷの旅…Part-5

新快速で敦賀へ…。
駅前からコミュニティーバスで新保まで約25分。
新保集落には尊王攘夷派の水戸天狗党・武田耕雲斎ゆかりの
陣屋跡もあって山間の静かな集落である。
豊かな水が流れる集落内を抜け、山道に入る。
所々に道元禅師の碑があり、歴史を感じさせてくれる。
人の姿も無く、鳥の声とせせらぎだけの静かさ…。
空青く、足元には小さな花が咲き、春うらら…。
登り続けること約1時間弱…木の芽峠に着いた。

木の芽峠には、由緒ある前川家の当主:前川永運氏が
築五百年を越える茅葺屋根の住いと地所を守られている。
丁度、在宅でいろいろと話を伺ったりした。
最近はこの峠に来る人も多いらしいが、
中高年の身勝手でマナー知らずにはお怒りの様子…。
聞くと、峠周辺の野草などを勝手に取ったり、
茅葺の住いの中に無断で入って来られたり…。
峠周辺は前川家の地所(私有地)にもかかわらず…なのだ。
注意をすると、文句を言う有様らしい。
本当に困った風潮で、大いに共感し時間を忘れて話し込んでしまった。
貴重なお時間を頂いたことを感謝し、お別れした。
機会があれば、またお訪ねしたいものだ。

峠を後にし「言うな地蔵」へお参りした。
有名な言い伝えがあるお地蔵様にこの旅の無事をお願いし山を下る。
365スキー場を抜け、板取宿の集落へ(写真)。
現在の板取は茅葺の建物は4軒ほど。住んでおられるのは1軒とか。
何ともいえない風情のある集落であった。

板取を過ぎると、国道365(旧・北国街道)を歩くことになる。
山間の国道だが、それなりに疾走する車があって、
ウォーカーには少々辛い。
時折、小さな集落があると、旧道に入り国道を避けるが
すぐにまた国道歩き…。
そうこうするうちに今庄に入り、国道から離れた旧道を歩く。
JR北陸線を越えるとまもなく今庄駅が見えてくる。
板取から約1時間半。
駅で電車の時間を確認後、今庄宿内の古い建築物を見に行く。
所々に古い建築物もあり、次回、ゆっくりと歩きたいと思った。

歩行…約12km

旧中山道:藪原宿から鳥居峠を越えて奈良井宿へ…

2009-04-04 10:00:43 | 昔探しの旅:街道・古道…
'09春:青春18きっぷの旅…Part-4

始発電車で京都へ、中央本線の時間に合わせるために京都から
米原まで新幹線を利用。米原から在来線で名古屋、中央本線に乗り
換え中津川~藪原駅へ約5時間の列車旅…。
木曽川沿いを走る車窓からの眺めも旅人を飽きさせない。
途中、寝覚めの床と呼ばれる木曽川の景勝地では車掌が由来の
アナウンス・サービスも…。

昼前に藪原に着き、駅で奈良井までのマップをもらい情報収集。
難所といわれる鳥居峠への期待を胸に歩き出す。
藪原ではそれほど古い町並みは無かったが、高札場跡や防火高塀跡
の石垣などが残っていて、案内板で紹介していた。
住宅街のある坂道を抜け、消防署が見えるとそこが林道合流点で
峠の登り口になる。直進して山道に入る…
整備された山道には案内板もあり、道なりに進めば迷うことは無い。
シーズンには未だ早いようで、ハイカーの姿無し、静かな山歩きが
楽しめる。普段歩く六甲とは違い、熊も出没する可能性もあって
熊鈴をぶら下げて歩いた。
大げさかなとは思いつつ、身の安全より熊に告知する一人歩きの
必携品と考えたのである。

歩くうちに石畳の道になり、旧道の赴きも…。
途中、案内板と熊除けの鐘があり、熊への実感も…。
くねくねと登ると測候所跡~丸山公園分岐、そして御嶽神社へ。
駅から1時間だった。この付近には少し残雪もあり、吹く風も冷たい。
この神社が峠道の最高峰で駅からの標高差は260m。
ここから下りが始まる…やがて目的の鳥居峠で標高1197m。
…といっても、中央本線そのものが標高のある地域なので
数字の割りに実感は無い。
鳥居峠には休憩所もあり、数冊のノートがあって、訪れた人々の
コメントが書かれていた。中には外国からの旅人も書いてあり、
中山道ファンが国際的であることが判る。

鳥居峠からは下り坂が続く…山は冬の装いのままなので
木々は目覚めていない。
日当たりの良い場所にフキノトウが芽を出していたぐらい。
雪をかぶった木曽駒ケ岳がすぐそばにあり、
ここが木曽の山中であることを改めて感じる…。

再び石畳の道になり、やがて奈良井宿の入り口に…
奈良井に入るとすぐ、楢川歴史民族資料館があり入る(200)。
受付の方と暫し話し込み、館内展示物を見る。
隣には鎮神社、水場~高札場があり、町並みへと続く。
奈良井宿は国の伝統的建築物保存地区でもあり、その景観は
見応えがある。
観光客にとっては見る喜びがあるが、地元の人にとっては
その維持や冬場の生活に苦しみがあるそうだ。

宿場町を歩き、造り酒屋:杉の森酒造へ入る。
大吟醸の酒かすがあったので店主と四方山話を…。
阪神淡路大震災の当時、大阪に住んでいたそうだ。
今は生まれ育った奈良井で酒作りを継いだとか。
美味しい水が豊富な奈良井で、本物のうまい酒造りを
これからも長く続けて頑張って欲しいものである。

木曽川に掛けた立派な木造の木曽大橋(太鼓橋)を見た後、奈良井駅に。
予定よりも早く着いたので時刻表でスケジュールの見直し。
隣の平沢駅まで歩くことにした。
約30分で平沢…この町は漆器の集落で専門店が街道筋に並んでいた。
駅に向かい、電車を待ち…15時10分発で帰路に。

藪原宿→鳥居峠→奈良井宿…6.5k
奈良井宿→平川宿…2k






旧中山道:馬籠宿から妻籠宿~南木曽へ歩く…

2008-03-28 00:51:41 | 昔探しの旅:街道・古道…
'08春・青春18きっぷ/鈍行列車の旅…Part-4

宿場町として有名な馬籠宿から妻籠宿~南木曽駅までの街道歩き。
早朝に出発…JR中央本線・中津川駅に10時44分到着。
観光案内所でマップなどの資料を収集した後、
駅前から馬籠行きの濃飛バスに乗車。
予定では馬籠の手前の新茶屋で下車するはずだったが、
そこを通るバスは昼過ぎに1便だけとの事であきらめた。
約30分で馬籠宿に到着(11時40分)。
バスの中では外国人カップルと知り合った。
彼らは3週間の休暇でヨーロッパから観光にやって来ていた。

馬籠を最初に目にした時、少し整備し過ぎている感じがした。
坂道沿いの町並みを見ながら少しガッカリ…。
馬籠は明治と大正の時代に大火があり町のほとんどを焼失、
その後に再建されて今に続いているので昔風景観…ということだ。
(観光客は楽しまれている…)
外国人の姿も多い…、外国から来られると珍しいのであろう。
土産物店や名物の五平餅を売る店も軒並みに…
藤村記念館もあったが、立ち寄らずに通り過ごす。
宿場を上りきった所に高札場があり、その前の蕎麦屋に寄って昼食。
二段重ねのざる蕎麦で腹ごしらえも完了、
ただ…蕎麦の切り方が不揃いなのはご愛嬌…ということで。

食後、坂道を上りきった展望所から馬籠を一望し、街道へ進んだ。
展望所までは観光客があったが、その後は人の姿無し。
山道だったり石畳の個所もあったり、19号線沿いでもあり…
所々に石碑や塚、道標も整備されているので迷うことは無い。
馬籠峠(標高801m)に12時45分着、ここも19号線沿いでバスの便も…。
峠茶屋の脇を通って下ると石畳道になり、暫く進むと一石栃番所跡。
その後、天狗の腰掛と呼ばれる巨木、男滝・女滝への分岐、
この間、峠からは緩やかな下り坂が続く…。
小さな集落を過ぎると大妻籠の集落へ入る。
ここは旅籠集落のようで街道沿いは民宿を営んでいるようだ。
古い民家と田舎情緒が好まれるのかも知れない。

少しアップダウンの後、妻籠宿の案内板(写真)へ。
川沿いの道を進むとすぐに妻籠発電所があり、
その辺りから妻籠の町並みに入る。
馬籠宿とは何かが違う…
妻籠宿は明治以降、衰退の途を辿っていたが近年、
歴史的町並みの保存事業で宿場の景観を蘇らせた。今では
国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。
電柱が無い、建物も出来るだけ昔そのままの姿を残そうと
住民が一体となって努力しているようだ。
和菓子のお店で話をしたが、若者の働く場所が無いので
いずれは過疎地になる可能性があるとのことだった。
地方の町を訪れると、何処も同じ悩みを抱えているのが現実だ。
このお店で妻籠にしかないという和菓子を試食し、もちろん購入。
追記:帰宅後、菓子箱に入っていた栞によると、このお店…
    妻籠宿だけではなく他に2店舗あった。てっきり妻籠宿の
    小さなお店で作られていると思ってしまっていた。
    でもまァ、保存料や着色料などは無添加…。
今までの経験では、地方の土産物には添加物だらけの商品が多くて、
それらを避け、場合によっては買わない主義なのである。

妻籠を出てから少し判りにくかったが、道標を探しながら
アップダウン…やがて南木曽の町並みに入る。
左手に木曽川の流れを見ながら下るとSLのある公園、
その先にJRの線路が見え、その先に駅舎。
南木曽駅…15時18分到着。約9キロ弱、3時間程の行程であった。

次の電車まで時間があるので観光案内所に行き情報収集。
木曽川に掛かる「桃介橋(国の重要文化財・近代化遺産)」を渡り
天白公園、山の歴史館(明治の建築物)を回って駅に戻った。
電車を待っていると、馬籠で別れた外国人カップルと再会。
旧中山道を歩く日本人には会わなかったが、
外国人の若者とは何度か出会った…、
日本人の若者は車での移動がお好きなようである。
歩くことで見落としていた何かが見つかるのだ…が。







滋賀県余呉町「賤ヶ岳古戦場へ…」

2005-04-09 22:30:51 | 昔探しの旅:街道・古道…
琵琶湖の北側、余呉町にある賤ヶ岳…。
標高421m、この山は琵琶湖と余呉湖の間に位置している。
昔、織田信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が闘った古戦場
として歴史の一頁に描かれていることで有名な場所。
JR余呉駅からなだらかな坂を上って約30分程で大岩山、中
川清秀の墓や、清秀の首を洗ったといわれる首洗い池を過
ぎると猿ヶ馬場の戦場跡。
最後の急坂を上りきると賤ヶ岳山頂。ここまで駅から約1時
間半の行程。

山頂から北側には余呉湖と出発点の余呉駅方面…、南側に
は奥琵琶湖がすぐ下に見える。南東側には、北国街道が通
る木之元も…。
周囲が眼下に見渡せる賤ヶ岳周辺は、戦国時代は要衝であ
った事が理解できるような気がして、ちょっぴり武将になった
気分も味わえる。

下山は、山頂直下の余呉湖へ。ほとんど一気という感じで下
ると湖畔の国民宿舎・余呉湖荘の脇に出てくる。
そこには加藤清正たちが槍で闘った七本槍戦場の石碑も…。
ここから湖畔沿いの散策路を歩いて駅に向かう…、途中、カ
ワセミの姿も見受けられるほど静かな湖面、対岸には往路の
山並み、振り返れば賤ヶ岳。
湖畔を外れて車道も通るが、ほとんど車の通行は少ない。約
1時間ほどで余呉駅に着くが、帰りの電車の時間をチェック
しておいて、湖畔で時間を過ごすなど有効に使いたい。

<参考>約10k、歩行…2時間半~3時間。
      余呉駅には、観光案内所も併設。コンビニなど無し。
      山道は、所々ぬかるみ有り。
      賤ヶ岳山頂から南には、木之元へのリフトがあり、
      このリフトを利用した観光客も上ってきている。
      山頂は整備されていて、トイレもある。
    
    


東海道を歩く「鈴鹿峠を越えて、関宿へ」

2005-03-22 12:47:13 | 昔探しの旅:街道・古道…
2005年3月21日、JR草津線:甲賀駅から土山宿~鈴鹿峠~坂下宿~
関宿まで歩行距離…約24k、時間…約6時間半。
<参考>草津線/貴生川駅から土山方面へのバス(あいくるバス)の
     本数が少ない。午前 8:45、9:20、11:00、11:50(発)
     (9時~10時台に貴生川駅着、バスに乗るとして…)

当初予定していた電車に乗り遅れ、貴生川に着いたのが10時13分、
バスを待つより次の電車で甲賀駅へ。そこから土山まで歩く事に
(11:00出発)、県道24号線を約2時間ほどで旧街道に入り、土山宿
へ。平日でもダンプが疾走する県道を過ぎ、旧街道に入るとホッ
とします。田村神社の前にある道の駅で一休み。しかし、鈴鹿峠
はまだまだ先…田村神社には立ち寄らず、急ぐ事に…。
国道1号線を渡り蟹ヶ坂の集落まで旧道を歩きます。集落を過ぎ
ると国道1号線に沿って、延々と…。
ヤマケイの本を参考にイメージを作っていたけど、実際は大違い。
文面にある「峠の手前の右手にある廃業した峠茶屋」が第一目標。
右手には廃業した「山賊茶屋」(山の方へ進む脇道もあり…)、
しかし、どうも違うし…近くの住人に尋ねると…まだまだ先らしい。

そもそも…鈴鹿峠=山越えの難所…というイメージも間違ってい
たようで、歩きつつ山の方を見ながら、あれを越える…という勝手
な思い込みもあったのが原因…。

やがて1号線のトンネル手前の近くに、廃業している峠茶屋が現れ
その先の小さな橋を渡ると道標。この道標も不親切…。道標のすぐ
側に山道もあり、それかと思わせる。
まさかと思いながら、1号線に沿って舗装された坂道を上ると、そ
こに鈴鹿峠の石灯篭「万人講常夜燈」がありました。
あまりのあっけなさに、少々期待はずれ…の感。途中、脇道に入
り込んだりして、少々時間ロスをしたけど…鈴鹿峠(15:15着)。
少し先へ進むと「鏡岩」への案内板。しかし、関宿への到着時間
を考え、立ち寄らずに山道を下りました。高架下の階段を下ると
片山神社。なお下って行くと一号線の側道…、ひたすらに進むと
坂下宿への旧道へ…。
坂下宿は小さいながら昔は賑わった所だったそうですが、今はひ
っそり…昔の面影は少ない。これは、ある意味…道路行政の被害
者。今の一号線が開通する前は、この集落に国道を通すために道
路幅を広げた結果のようです。
坂下宿を過ぎ、やがて「鈴鹿馬子唄会館」。通り過ぎようとする
と、会館の方が出て来て、入ってください…と。小休止を兼ねて
入館。その方がいろいろと説明をして下さいました。先を急ぐの
でと足早に出発(16:20)。
そこから沓掛の集落は旧道で…所々に面影もありますが、沓掛を
過ぎると1号線をひたすら…。側道らしく、車の排気ガスに苦し
められます。やがて、関宿の看板…、国民宿舎前を通り、関宿・
西の追分に到着(17:00)。
ここからは関宿の整備された旧道へ。電信柱の無い町並みが美し
い。しかし、車が通るのが惜しい…。古い建築物もあれば、現代
建築も…。地域住民の葛藤を想像しながら東の追分の手前で戻り、
JR関駅へ。17時47分発で夕暮れの中、帰途につきました。

<参考>平日はもっと大型車が多いように思われるので、避けた方
     が良いでしょう。
     公共交通が不便なので、途中リタイアは難しい。



近江中山道を歩く:醒ヶ井宿からJR彦根駅まで…

2005-03-18 22:55:48 | 昔探しの旅:街道・古道…
2005年3月16日 昨年、JR関ヶ原駅から西へ歩いた続編。
先日の雪が日陰に残るJR醒ヶ井駅を降り、醒井宿を少し東
へ戻り、清水の流れる地蔵川から出発。昔の街道の雰囲気
が残る町並みを通り抜けると、車の往来が激しい国道に…。
排気ガスに悩まされながら約10分ほどで、河南の集落…。
ここからは国道を離れて旧中山道を歩きます。しかし、昔を
偲ぶような建物は無く、ただ街道らしき風情だけ。やがて北
陸自動車道に突き当たり、高架下を抜けると…「久礼一里塚
碑」。この辺りになると小高い山も近くなり、街道らしくなり、
農家の人も心持ち優しい眼差し…。
十字路に「番場宿の石碑」と「汽車汽船道碑」があり、そこ
を過ぎると番場宿。所々に古い民家があったり、昔の商家跡
などの表示も軒先に吊っていて、それなりの雰囲気。
農家の庭先…と言っても街道沿いに、なぜか厠が並んでいる
のが気になりました。古くて壊れかけた厠も…。
番場宿を過ぎると名神高速道路と並行に歩きます。高速で走
り抜ける車と、ゆっくり歩く旅人…。数年前ならきっと車で
走ったであろう事を考えると、これもオモシロイ。
まさに高速道路を見下ろす側道が「小磨針峠」。坂を下ると
道標があり、右に歩いて磨針峠を目指します。集落に入り、
神社を過ぎ、脇道を探しながら進んだために「望湖堂」へ
立ち寄るのを忘れてしまいました。
鳥居本宿に入ると、昔の建物も残っていて、街道らしき風情
も所々に…。「赤玉神教丸本舗有川家」「合羽所」等の建物
が古めかしくていつまでも残しておきたい。
やがて、朝鮮人街道の道標のある十字路…。右に曲がると
彦根への近道。今回は少し遠回りして彦根インターへ、ここで
中山道とお別れ…、国道沿いにJR彦根駅に向かいました。
歩行距離…約13k、3時間。