ネコのヒトビト

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嘘をつく事は、相手の人格を殺すこと

2021-10-26 01:23:51 | 思ったこと
平気で嘘をつく人がいる

あからさまな嘘をつく
嘘だとバレても構わない
相手が「嘘をつかれた」と認識したとしてもかまわない

つまり、相手の人格を真っ向から否定し、
どうでもいい存在だから嘘をつけるのだ
人として無視してもいい存在なのだ
つまり、嘘をつく人間にとって、嘘をつかれた人間は
人間ではなく、騙しても傷つけても構わない
騙すのも仕方ない、傷つけるのも仕方ないと考えるような
「存在」なのだ。

だから、嘘は
人格としての人の「殺人」である。
相手の心を無視するということは
相手を人として認めていないから。
つまり、人格の否定であり

人格をとしての 人 を殺人することである。

だから、嘘を平気でつく政治家などは、
国民に嘘をつくということは
大量殺人していることと同じである。
嘘をつくことが当たり前になっているので、
そんな認識はないかもしれないが
国民は、人ではなく、裏切って良い・騙しても良い 人ではない存在なのだ。

政治家だって人なので、相対して
一人の人と向き合った時
それほど明確に嘘をつくのは難しいかもしれない。
でも
政治家という仮面を、常にかぶることによって
嘘をつくのが当たり前になってしまう
相手を「国民」という レッテルを貼る
相手を「政治という舞台の 向こう側にいる観客」という人格でまとめてしまえば
芝居が打てるのである。
国民という言葉でもって
ひとくくりにして、 相手を 見下して 相手を自分たちよりもしたの存在と思っているから「平気で嘘をつけるのである」

嘘をつくということは、
人格の殺人である。

だから、平気で国民すべてにむけて嘘をつける政治家は、
一人一人の人格である「人間」に「国民」というレッテルを貼って
殺人しているのと一緒である。

つまり、殺人が平気でできるだけの神経の太さがないと
政治家は出来ない。
殺人を常に行うことが当たり前になるぐらい、非情にならないと
政治家になどなれない

命の選別をおこない、生かす命と 生かさない命を
勝手に選別することについて、まったく躊躇しない、
人としての心をある意味捨てることが求められるのかもしれない。
それが、最善だと
自分が、した、選別が 最善だと「思い込める」能力を持つことが
求められるのかもしれない。


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