田舎に帰ってきて一番困ったのは
知り合いに会って
「惑珍うちました?」と聞くと
「うったよ。なんともなかった」
「私はうちませんよ」
「・・?なんで!?⤴️(語尾が上がる)」と
怒られること。。
親戚に電話して
「惑珍をテレビで勧めているけど。私はあまり。。」という話をすると
怒ったような声で
「真剣に勧めているのに批判するなんておかしい😡」
と
言われること。。
「惑珍=正しい」という
善悪判断が「常識」となっており
「正しい」という強い『はがね』のようなガードが
それ以上の議論を受け付けなくしている。
強い思い込みは、
怖れからなのか、
強い正義感からなのか。
どのことにも言えるのだと思うのですが、
善悪の判断が、物事の本質を見誤る原因となりうるのだな、
と
その「善悪の判断」を、
上手に利用しているのだな、
と。
支配者側に巧みな心理操作に舌をまく。
ほんとに頭いいね。