ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

裁きの詩

2024-05-25 00:30:12 | 思ったこと
理解を超える出来事であった

吊るされているのは、どうみても人だった
まるで丸焼きにされた豚肉のように
てかてかと光ったそれは
グロテスクに記憶に焼き付けられた

ウィルスが放たれたというその市場で
流通していた
そのものの映像

ときにはその地域で
夜間カメラで映されて
ハエのように突然死していく映像もあった

恐ろしげなウィルスは、たった一晩でひろがり、
各所にしたいの山を築き
時には隠蔽するために家ごと燃やされた
地域をすべて戦車で踏み潰し
衛星写真で見せた映像は真っ赤な大地
だった
救急車にはしたい袋が積み上がり
おそろしい恐怖の映像によって
脅された私たちは
ずっと踊らされ続けた


たった数日でしたいの山が積み上がるはずだった日本で
それが純然たる原因で死んでいる人はわずかであり

すべての病床の2%しか専門病床としてあてないなか
その半分が埋まると「逼迫 逼迫」と脅された

日本の人たちが収めた衛星備品は
いまやそれらの生産国である大陸へ
各地の首長の決定で送り出された

感染は怖いと脅しながら
観光客を受け入れ
連日 感染拡大 感染拡大と騒ぎ立てられ
人々は恐怖に震えた

数ヶ月後
ふたをあけると
死者数は、その年 普段よりも少なかった

次の年
あの薬剤が始まった

すると、
次第に感染の波は増大し、
死者数も 次第に増えていった

あの薬剤が始まる頃、
すでに 摂取が始まっていた国々では
死者数 や 重症の身体障害を受けた人々の事例の情報で
SNSは溢れかえった
すでに五百人以上の死者と、数千人の重度障害者を生み出していた
アメリカの 有害事象の報告サイトは
完全に無視され

安全だ 安全だ 人の命を守るために打て
打たなければ 人殺しだと言わんばかりのキャンペーンが始まった。


私は、身近な人たちが、被害者であり、加害者になることを
躊躇しない姿を驚きの眼でみていた。
時には止めた 時には説得するためのメールを書き上げるために 寝むれない夜を過ごした
それでも、多くの人が どれだけ根拠のある資料を与えても
わからないフリをして
知らないフリをして
気づかないフリをして
騙される方向へ歩いていった
人を殺すかもしれない道を自ら進んでいった。

未だ、
それは 信じられていない

日本の死者は 戦後最大になり
今も拡大を続けている
それにも関わらず、
数字の操作で
死者は増えていないと
意図的に、隠蔽する政府機関に
戦慄を覚える

意図的な大量殺人に巻き込まれながら、
人々は、それを認めたくないのか否認し続けている

自分たちは自由で平和な国に生まれ、そして死んでいくのだと
疑わない
ときには 増税に不満をもらし、 あれが悪い あれがひどいといいながら
行動を起こすことはしない。

いずれ屠殺状につれていかれる豚のように

ただ、だまって 餌をはむ


人間が人間を 餌として
人肉を食うがごとく
人を儲けのネタにして

それだけならまだしも
殺される人々からまきあげた税金で人々をコントロールするための
CMを提供し
国の勲章をもらい
人々から巻き上げた税金で 言論統制をし
さらにはどこかの戦争に加担する


一人一人の人間が、馬鹿にされ、殺され、だれかの儲けのネタにされ
その払った税金によって、苦しめられる

その構図をまったく 理解しないまま

そのまま、誰かに世話になった ありがとうと
素直に あのよにいけることhが
それが 人としての尊厳なのだろうか


おかしいと うったえて、罰せられ、のたれ死にさせられるのは
恥なのだろうか

いずれにせよ
裁きは神が下す

老人の引越し

2024-05-25 00:08:40 | 思ったこと
病院に入院し 
老人保険施設へし
そのあと自宅に一時帰宅したと思ったら、
またショートステイしたり
入院したり、
完全に入所したり
あるいは 子供のいる地域へ引き取られていったり
そっちでまた入所したり
入院したり
施設が変わったり

実は
老人になってから
引越しの回数が増えるのが世の常である。


老人は、引っ越すものなのだ。



本来 体力も気力も経済的にも尽きかけている老年期に、

寝泊まりするところが大幅に短期間に移動しなければならないのが
世の常なのである。



身動きとれなくなった老人に 安住の 居場所はない。


どこに根があるのかわからない。

よほどの経済的 または 人的な資源をもっていなければ
誰かの都合に合わせるしかない。

それが仕方ないことなのだ。

介護を受けないと暮らせない
という 原資 を 手にしてしまったがために、

誰かの 世間の 利益を生み出す為、
果てしなく動かされたり、
果てしない時間 閉じ込められたりするのは
仕方ないことなのだ。

本人がのぞむとのぞまざるとに関わらず
多くのことは いろんなことに バランスをとって決定される。


高齢になれば
だれか若年者の儲けにならなければ、
レーゾンテートルがないのだと
文言にはなっていないが、
そのように
世間ではなっている。

そして、
そのような果てなき旅をラクに過ごせるように
という言葉に踊らされて
消費税だの
介護保険だのと
いろんなものを上乗せされて
しょっ引かれているにも関わらず
やれ 介護保険は崩壊するだことの
高齢社会だのと脅されて、
あるいは
若年者の生活が苦しいのは
高齢者がのさばるせいだと
介護は苦しい
専門家に任せろだといわれて
結局家で最後まで住み続けるというのは
夢のまた夢

誰かの利権で建てられた老人施設などで
月にたった1日程度しか稼働しないドクターが1000万円もふんだくっていく中で
たった数日働いただけで一月働いただけの給料をふんだくっていくリハビリの先生の収入と
儲けようと思って参入したといって憚らないオーナーの懐をあたためるために
1日数百円の食費で 生かされ
善意のレクレーションに参加させられ、

ときにはベランダから突き落とされても不問にふされ
そんなふうに
人間は 人生の最後を飾るのである。