記念の時計が鳴った
以前からずれていた
一時間
いまは一時間15分
8回なると
9時のめやすになった
9回なると
10時の目安になったが
今は
もう少し進んでしまっているので
目安にしにくくなった
だんだん進んでいく、ネジで回す 時計
電池で動いているけど、
デジタルではないんだ。
この鳴る時計があっているのか
デジタルの 今の時計が本当にあっていると言えるのか
わからないな と ふと思った
そんなことはない
そんなことはない
と
言われてしまうだろうけど
いま デジタル機器が多い世の中で
故意に進めることも
故意に遅めることも
実はやりやすいのではないか
いやいや
太陽の位置で、
と
荒唐無稽な事をいうなと
言われそうだけど
なにしろあの注射を なんなく受け入れてしまった私たちだから
感覚がにぶくにぶくなっていて
知らぬ間にいろんなことが変化していても気づかない可能性だって大いにあるのだ。
そんな戯言を 母に話していたら
いま、こういうスマートフォンみたいな機器を
みんな持っているから
と 言い出した
もし、家庭が経済的に厳しい状況だったら
大変だねと言い出した
今は、子供たちがスマホをもっていたり ゲームをするパソコンを持っていたりなんてこと、珍しくないけれど
一方、経済的に困窮して 日々の食事さえままならないなんていう
世帯も 実は珍しくなくなってしまった時代なのだ
大阪のある地域では、(かなり小さな自治体)子ども食堂がなんと80件もあると聞いてびっくりした。
子供食堂がそれだけ需要があると言う事は、生活に困っている人たちが
それだけ大勢いるという事である。
小学校に用意されているタブレットなどを手にして
授業を受ける子供たちがいる中で、
自宅に帰っても そういったデジタル機器が無い子供たちは
どのくらいの割合でいるのだろうか。
そうしたら、そういう子供たちは、
世間の認識と違う世界を生きることになるだろう
それが 必ずしも悪いことと 言えるのかどうかはわからないけれど
母は子供の頃、
同級生が当たり前のように買ってもらえるものを
手にすることができなかったので
自分のことのように 心配している
指を咥えて、みていなければならなかった
あらゆることを
その時のこころをおもいだして
今の子供たちを心配しているのだろう。
ただ、母が そのまま貧しいまま生きたわけではなく
人生は いつなにが起きるかわからないと言うことを
今 貧しい世帯でいる子供たちに信じていて もらいたいと思った。