あるミニコミ誌の「福岡麺人生」
今回は久留米の「藩陽軒本店」が掲載されています。
久留米在住で久商OBの方々はご存知だと思います。
当時の映画館「大勝館」前のラーメン屋。以前は「新世界」の入り口にありましたが、付近一帯が再開発されてマンションの1階で営業しているとの事です。
「新世界」を知っている人は70歳以上で飲んべえぐらい
「新京極」「浮世小路」・・・
そう言えば「浮世小路」に「アルサロ」がありました。
お店の名前ではありませんよ。
あるミニコミ誌の「福岡麺人生」
今回は久留米の「藩陽軒本店」が掲載されています。
久留米在住で久商OBの方々はご存知だと思います。
当時の映画館「大勝館」前のラーメン屋。以前は「新世界」の入り口にありましたが、付近一帯が再開発されてマンションの1階で営業しているとの事です。
「新世界」を知っている人は70歳以上で飲んべえぐらい
「新京極」「浮世小路」・・・
そう言えば「浮世小路」に「アルサロ」がありました。
お店の名前ではありませんよ。
目の前にあった潘陽軒はオープンドアで店に入り易く止まり木でらーめんを食べたものです。
キャバレー火の鳥の全盛期で周りはパチンコ店が
乱立していましたね。ギャンブル依存症の父に連れられて七歳の私もパチンコさせられました。意外にも
パチンコ狂いにならなかったのは幸いですが、麻雀
は今でも大好きです。
そうか 野口君は久留米んもんたい。
私はあなたがパチンコに行っているころは
聖マリア病院と井手医院を行ったりきたりしてた。
小児結核で入院中、三本松公園は自分の庭(笑)
麻雀久しくしませんね。
その前にはレストラン「白馬車」
文化街の入り口には「鳩屋」
思い出が多すぎます。
パチンコしてた頃と言われるとちょっと
くすぐったいですね。私が7歳のギャンブラーに
聞こえるので修正させてください。
7歳頃のある日に親父の自転車に乗せられて
行った先がたまたまパチンコ屋で遊び半分に大人の
真似をしたのが真相です。宜しく!(笑)
大刀洗の田舎から端間まで自転車できて
電車で久留米まで行くのが楽しみでした。
六ツ門饅頭で「回転焼き」を食べて
具うどんを「貝うどん」と言って、お袋が
笑っていたのが懐かしいです。
旭屋デパートでしたね。映画館も中にあったような・・・
当時はホステスが「アルバイト・素人」が売りでした。
「浮世小路」に「リッツルクラブ」という「アルサロ」が
ありました。高校2年での発見です。
「ピンサロ」・「ピンクサロン」とは違ってました。