弔辞
謹んで、川上順市君のご逝去を悼み、ご霊前にお別れの言葉を申し上げます。
川上 昭和38年4月に久留米商業に入学、君は隣のクラス1年2組で、目の玉ギョロリの思い出があります。2年5組で同じクラスになり、3年の時には応援団長で後輩達から怖がられていました。点字同好会、献血運動で優しい面もありました。
昭和41年3月卒業、荒川積君と「中興鉱業」に入社しましたね。会社の先輩が「建材産業」を立ち上げられ片腕として頑張ってきました。商業高校卒業では珍しく「2級土木施工監理技士」の資格も習得し、平成12年には「株式会社ビーエスピー」を創業。「九州に、くい工事の川上あり」で業界を席捲していました。社員の熊井義隆さんを後継者として育てあげ、平成19年には会社を整理して、旭化成建材株式会社に入社、その後高島株式会社に入社し、「俺は会社を変わるたびに大きくなり最後は上場会社バイ!」誇らしげに話していたのが、つい昨日のように思い出されます。
久商同窓会福岡支部長を4年お世話しましたね。平成20年2月魚村での支部長選考会で俺が「川上君が支部長になるなら事務局をします」と、支部長を引き受けてもらいました。伊藤康利君、田中準君、豊福輝信君と5人で役員を頑張りました。楽しい思い出です。豊福君も川崎市から参列してくれていますよ。
一男二女に恵まれて昨年1月26日に、初孫の健聖君も誕生され、今年の誕生日の餅踏みの写真をメールで送ってくれました。いい笑顔でした。
まだまだ思い出を述べたいことはいっぱいあります。
久商をこよなく愛した君に「応援歌 緑色濃き」を贈ります。
緑色濃き 高牟礼に ああ紅の陽は昇り
目覚めの鐘は鳴り響く 戦わん哉 時至る
聞け 堂々の出陣譜
川上 ありがとう
平成31年3月30日 友人代表 青木武良