以前は毎年一月中旬から下旬に集まっていました。
江上君のお店「ひらけごま」では二三回開催
神戸の加藤君も参加して、中村君からの差し入れの「餃子」をいただきました。
今は、76歳になり、遊び廻る気力、体力も失せています。
昨年の福岡支部総会には9名参加、二次会のセッティングもせずに・・・
翌々日12月4日には「第一腰椎圧迫骨折」
本日整形外科に診察行ってきました。
ドクターがレントゲン写真を見ながら、「順調に骨は生成されています」
「あともう少しですね」と。
花見ごろには間に合いそうです。
今から思うと、福岡支部事務局の就任は失敗でした。
60回生から68回生に突然のバトンタッチ
61回生から67回生の先輩達はスルー
そういう年次の先輩達が先輩風を利かせて支部総会には「ドタキャン」ならぬ「ドタ参加」
68回生名物幹事の豊福輝信君がテキパキ椅子の手配をやってくれて事なきを得ました。
川上君亡き今はお世話する気にもなれません。
福岡支部総会開催云々ですが呼びかけも参加もする気はありません。
昨日7月9日は川上君の75歳の誕生日でした。
「樽酒・若盛」を献杯して川上君との思い出を肴に独酌しました。
川上君の奥さんにLINEしたら「ありがとうございます。主人も喜んでいることでしょう」と返信が届きました。
江越君からは「武良しゃん、ありがとう川上もやっと俺の年になったんだ。晩酌中ですが今から川上に献杯します川上よまだまだ俺たちを見守ってくれよ」とLINEが届きました。
十数年前「魚村」での福岡支部会長選出会合で、危うく支部会長に選任されそうになった時に「川上君が支部会長になるなら自分が事務局で支えていきます」と川上君に支部会長をお願いしました。以来4年間彼と福岡支部を運営してきました。
今となっては懐かしい思い出です。
先日、永松義之君から手紙をいただき西鉄甘木線で通学していた事を知り永松君に電話しました。「そうよ、片の瀬橋を渡って金島駅から乗りよったばい。嶋井とか則松も一緒やった」。国鉄田主丸駅まで遠かったとのこと。
このことを東京の園木和男君に電話したら、「俺 永松とは親しいとよ。青木の電話番号も教えた。彼とは大阪時代も同じ御堂筋で働いていたので、たまに会っていたんよ。自分と誕生日が一日違いなんよ」園木君は確か6月生まれ。
永松君は10数年前、福岡勤務時代に福岡の会合に参加して「警固の社宅に住んでいる」と話した記憶があります。
園木君とは同じクラスになった事はないがブラバンで同じ釜の飯を喰った仲間。数年前に上京した時に「新橋有薫」で50数年ぶりに会って二次会まで流れた思い出が・・・
大阪支部総会も今年も中止、開催される時は久しぶりに出席して、加藤浩一、中村謙二、永松義之君達に会いたいですね。京都在住の石井俊明君にも声掛けしてみます。
みなさん お元気ですか。
昔は自由に飲めてよかったですね。
21年前の案内ハガキが出てきました。
イラストはうちのスタッフさんが書いてくれてます。
来年こそ5月の大同窓会開催を願っています。
幼い頃の思い出。小生、小学校一年生の終業式には母に背負われて学校に行った覚えがあり、そのまま久留米の井手医院に「小児結核」で入院、当時親父が聖マリア病院に「肺結核」で入院中、しばらくして聖マリア病院に転院。「掛け算の九九」は井手医院で覚えました。小学3年夏休みの8月31日に退院。翌9月1日3年生の二学期から復学しました。復学後壮絶ないじめに遭う。
当時「卵」は唯一の栄養素。親父は入院していて弟妹3人、貧乏のどん底でしたが、母が毎日「卵」一個私にだけ食べさせてくれていました。
今はコレステロールが云々で「卵」は言われていますが、おかげで今でも仕事を続けられています。「卵」に感謝。
中学3年の正月前、親父から「武良 大学にはやりきらん。高校までは行ってよか」と言われ、久留米工専を受験しましたが不合格。おかげ久商に入学できて素晴らしい68回生のみんなと出会えました。
肺結核で就職できない時、「日栄商事」に入社でき、以来55年間同じ保険の仕事が出来ています。「日栄商事」橋本安雄社長に感謝。
昨日荒川積君と会う機会があり、
「おうちょうどよかった。今朝川上の夢ば見たばい。同級生4・5人の前でなんかワーワーわめきよった」「死んだもんが、なんばワーワー言いよるとか!やかましかと言ったら目が覚めた」
伊藤康利君が作った「昭和・路地裏話」星野哲郎作詞 杉本眞人作曲 の替え歌が机の中から出てきました。
憎めない男でした。YouTubeで検索して聞いて歌ってください。
『昭和・路地裏話』 歌:小林旭
作詞:星野哲郎
作曲:杉本眞人
山崎さんでは ないですか
しばらくでした アケミです
知らない女が 声かける
夜の新宿 西口あたり
肩をすぼめた 男はみんな
昔別れた 淋しがりやに
似ている街だ…
斎藤さんでは ないですか
おぼえていますか 私です
私とだけしか 言わないで
思い出してと ささやく女
闇を流れる 電車の音が
忘れかけてた 恋の痛みに
さわるじゃないか…
中村君では ないですか
昨日はどうも 松井です
あやまり酒だと 盃を
さしつさされつ 区役所通り
酔えばまたすぐ 喧嘩になるが
なぜかあいつが たよりなんだよ
わかるかネオン…
昭和45年9月10日(木)久留米市日吉町のカトリック教会で結婚式を挙げました。仲人は橋本君のお父さん。蛍川町の冠婚葬祭互助会平安閣で披露宴。古賀末次君が司会をしてくれました。二次会は大刀洗町の「上高橋公民館」田舎の風習で村内(隣組)へのお披露目。確か途中で雨が降り出し、板付空港から初めて飛行機で伊丹まで。
「1970年のこんにちは~」大阪万博にギリギリ間に合いました。名古屋で梶山久勝君と会って名古屋城を見学した記憶があります。
帰りは神戸?から「阪急フェリー」で北九州まで・・・
元気に夫婦で「金婚式」を迎えています。荒川積君に夕方電話をしたら「俺は11月ばい。確か荒巻輝雄がひ孫3人おると言いよったけん。早やかばい」と。荒巻君に電話したら「電源が入っていません」。先ほど電話があり「ごめ~ん。広島から帰る途中。今車ん中たい」蜂蜜の仕事で広島まで行っていたようです。聞いたら「俺は来年の1月ばい 23歳になって結婚したよ」との事。
水泳仲間(同級生)からケーキが届きました。
波乱万丈。山あり谷ありでしたが、まだまだ現役頑張ります